■竹久夢二(たけひさゆめじ)
市政だより2023年12月号・文化財連載「田村市初の衆議院議員菅村太事(すがむらふとじ)」の中で紹介した竹久夢二(以下、夢二。1884~1934)について、掘り下げてご紹介します。
大正ロマンを代表する画家、夢二は「夢二式美人画」と呼ばれる数多くの美人画を残しており、児童雑誌や詩文の挿絵も描いているほか、文筆の分野でも詩、歌謡、童話などを創作しています。また、多くの書籍の装幀(そうてい)、広告宣伝物、日用雑貨、浴衣などのデザインも手掛けており、近代日本グラフィック・デザインの草分けの一人とも言えます。そのため、東京都文京区をはじめ岡山市や瀬戸内市、酒田市、金沢市、伊香保温泉など関連する多くの市町村に美術館や記念館があります。
夢二は明治17(1884)年、岡山県村久郡本庄村(現・岡山県瀬戸内市)に酒造業を営む家に生まれました。明治35(1902)年に早稲田実業学校へ入学。この頃、片曽根村(現・船引町船引)の村長となり、田村市二人目の衆議院議員となる助川啓四郎(すけがわけいしろう)(以下、助川。1887~1943)と出会います。
人間性の通う深い絆で結ばれた2人は、固く手を握り合いながら、助川は政治家を、夢二は画家を志してそれぞれの道を歩み始めます。その後、夢二は大正10(1921)年と昭和5年の2回、助川を訪ね、船引町「御代田旅館」で画会を開催しています。2人の出会いの心を大切にし、文化の窓を広げたいという目的で、昭和55(1980)年に市図書館の2階に「夢二ルーム」を設け、御代田旅館での画会の際に描かれた自画像をはじめとする書画や書籍などとあわせて助川の関連資料なども展示しています。
画家である一方、恋多き夢二の生涯には数々の女性が登場します。岸たまき(以下、たまき。1882~1945)は、戸籍上唯一妻となった女性です。早稲田鶴巻町に開店した絵葉書店に、夢二が客として毎日店に通いつめ、結婚にいたりました。最後は、たまきと画学生の仲を疑った結果、刃傷沙汰から絶縁となります。
たまきと別れ京都に移り住んだ夢二と交際したのは、笹井彦乃(ささいひこの)(1896~1920)でした。九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発症。そのまま短い人生を終えます。夢二は彼女を最も愛していたようであり、その死後しばらくショックから立ち直れなかったそうです。
その後交際をしたお葉(よう)(1904~1980)は、東京美術学校のモデルとして人気がありました。夢二との間に一児をもうけますが夭折。翌年お葉は自殺を図り、半年後に別離しました。
その後も夢二は創作活動を続けますが、昭和8(1933)年に結核を患い、翌年9月1日、「ありがとう」の言葉を最後に49歳でその生涯を終えます。
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