毎年2月11日に行われる「白河だるま市」は、白河の冬の風物詩です。この日は、街なかにだるまを売る露店やさまざまな屋台が並び、多くの人々でにぎわいます。
もともとは、旧暦の1月14日に「市神祭」(年の初めの市で、市場の守り神を祀(まつ)る祭)が開かれていましたが、次第にだるまが主な売り物となって「だるま市」と称されるようになりました。
だるまは、禅宗の開祖である達磨大師(だるまたいし)の姿をかたどった起き上がり人形で、江戸時代後期に作られるようになったと考えられています。だるまの赤色は厄除けの意味があり、また「七転び八起き」などというように、縁起ものとして全国に広まりました。今でも各地で地域色豊かなだるまが作られています。
白河だるまの起源は諸説あります。昭和初期の新聞記事には、当時の言い伝えとして、白河藩主松平定信(まつだいらさだのぶ)の命により、瓦谷金七(かわらやきんしち)という人物が川崎(かわさき)大師でだるまづくりの修業をしたこと、定信の御付(おつき)絵師の谷文晁(たにぶんちょう)がだるまの顔を描き手本に与えたことが書かれています。今わかっている中で、この記事が、白河だるまの由来が詳しく記された最も古い記録です。
白河だるまの特徴の一つは、東北と関東の特徴をあわせ持っていることです。やや縦長の姿は、三春だるま(三春町)のような東北系の特徴です。一方で、青や緑などの色を使わず、全身を赤く塗るのは高崎だるま(群馬県)など関東系の特徴です。
白河だるまは、みちのくの玄関口・白河ならではの身近な文化財の一つといえます。
■白河だるまは昔から2つの店舗で製造されており、全体の形やひげ・口の形などに違いがあります。まゆやひげ、顔や胴の模様が鶴亀松竹梅をかたどっているとされます。
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