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特集 伝統つなぐ、白河提灯まつり(1)

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福島県白河市

江戸時代から長い年月を経て、今に受け継がれる「白河提灯まつり」――。
コロナ禍を経て、今年は6年ぶりに通常規模での開催となります。
※写真は、令和4年度の白河提灯まつりです。

■鹿嶋神社祭礼渡御祭(かしまじんじゃさいれいとぎょさい)
白河の城下町の総鎮守である鹿嶋神社の例大祭で、2年に1度、9月に3日間開催されます。
その始まりは、白河藩主・本多忠義(ほんだただよし)が明暦3年(1657)に神輿(みこし)を奉納したこと。
これ以後、城下町を渡御する祭礼が始まったと考えられています。

一般的には「白河提灯まつり」と呼ばれていますが、正式名称は「鹿嶋神社祭礼渡御祭」。江戸時代の武家社会の儀礼・作法が今も重んじられているとされ、別名「儀式まつり」とも言われています。

日中には神社神輿が2日かけて旧城下町の氏子各町(うじこかくちょう)を回る「総町渡御(そうちょうとぎょ)」と、各町内の屋台(やたい)や山車(だし)の引き回しが行われます。
夜には氏子各町の提灯行列と神社神輿が旧奥州街道(きゅうおうしゅうかいどう)を中心に巡行し「提灯まつり」の名にふさわしい幻想的な光の行列が続きます。
加えて、神輿が神社のそばを流れる阿武隈川(あぶくまがわ)や境内のたいこ橋を渡る勇壮な場面も祭礼の大きな見せ場です。

■日中は神社神輿の総町渡御
初日の夜に鹿嶋神社を出発した神社神輿は桜町(さくらまち)の御旅所(おたびしょ)で1泊し、その後2日間かけて氏子各町を渡御引継しながら巡行します。2日目、3日目の日中に行われる総町渡御では各町内の氏子が神社神輿を担ぎますが、町境で次の町内に神輿を受け渡す際には、祭礼全体を執り仕切る「宮本(みやもと)(桜町)」が必ず神輿を検分し、次の町内の氏子たちへと渡御引継を行います。また、祭礼中は各町内に「御旗場(おたば)」が設けられ、神社神輿が御旗場を通過する際には、神楽奉納などの神事が執り行われます。
厳かな雰囲気の中で行われる総町渡御は、伝統と格式を感じさせます。

■屋台・山車の引き回しにも注目
日中、各町では伝統的な装飾が施された屋台・山車の引き回しを行い、子どもたちが笛や太鼓のお囃子(はやし)を披露します。
現在はお囃子が主ですが、江戸時代には華麗な衣装を着用し踊り芸を披露しており、家業を怠るほど子どもの稽古に熱が入る家もあったようです。
太鼓をたたくリズムやお囃子には町ごとに特徴があり、夏になると集会所などで練習が始まり、だんだんと町中がお祭りモードに入ります。夢中で練習に取り組む子どもたちの姿は、今も昔も変わりません。
伝統を紡ぎ、元気に祭りを盛り上げる子どもたちの姿は必見です。

■夜は提灯行列による送迎
夜は、氏子各町の提灯行列が神社神輿を送迎する形で巡行します。行列の先頭は、神社神輿の警護や行列の進行管理を担う「先達(せんだつ)(愛宕町(あたごまち))」。行列の中央に位置する神社神輿を担ぐのは、初日と最終日は「横町(よこまち)・田町(たまち)」、2日目は「大町(おおまち)」と決まっています。
神社神輿の前後を固める各町の提灯行列の隊形は、高さ10m程もある「先達(せんだち)提灯」を先頭に、高さ3m程の「高張(たかはり)提灯」、手提灯を掲げた壮者(そうしゃ)(祭りを企画・運営する人々)が担ぐ「町内神輿」が続きます。その後ろに手提灯を持った元方(もとかた)(祭りを主宰し、壮者を監督する人々)が並び、最後は元方提灯が隊形を締めくくります。
夜のまちに浮かび上がる提灯の灯りや、小気味良い拍子木(ひょうしぎ)の音、神輿を担ぐ壮者たちの威勢の良い掛け声。生で見る提灯行列の迫力や華やかさは圧巻です。

問合せ:秘書広報課
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