■十一月
先月号で関東大震災の話題に触れました。来年の市制施行100周年を前に当時の記録を少しでもと、こおりやま文学の森資料館の特別企画展「郡山が生んだ偉大なるエンサイクロペディスト(※)石井研堂」を訪問(12月3日まで開催)。
学芸員の方に「関東大震災の記録は?」と伺ったところ、「石井研堂」(山下恒夫著)を紹介いただきました(さすが学芸員)。同書によれば研堂先生の名著「明治事物起原」(上下2巻21類3182項目1500頁)に震災の目撃談があるほか、先生作の「震災番付」が飛ぶように売れたとのこと。企画展の開催中に改めて原典に当たります。
また福島民友新聞10月2日の特集記事に「関東大震災100年」。特に避難者の動向分析が記載されていました。詳しくは同紙面をお読みいただくこととして、概要を紹介しますと、当時、国は震災直後、鉄道運賃を無料とし、避難者の大規模な移動を後押し。2か月後の11月15日には、国による避難者の全国一斉調査を実施。避難者の氏名、住所、職業、避難先、被災状況などを詳細に調査。翌年には震災調査報告としてまとめており、福島県には1万4741人が避難したとのこと。
一方、同紙面には、東日本大震災との対比記事も掲載。「東日本大震災把握進まず」との見出しで、避難者が避難先の自治体に氏名などを登録する「全国避難者情報システム」への登録が進まず、周知が課題とのこと。
関東大震災発生時の日本は、吉幾三さんの歌詞ではありませんが、テレビも車もスマホも「ナンニモネェ」時代。現在では、記録機器は数多(あまた)あるものの、大事なのは情報を把握し記録する「心技体」と実感した次第です。
※百科の学術に広く関心を向けた知識人
郡山市長 品川 萬里
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