■一本の水路
明治初期に行われた一大国家事業「安積開拓・安積疏水開さく」。乾いた大地に拓かれた一本の水路が、郡山発展の礎となりました。
◇郡山の未来を拓く「一本の水路」
明治維新後、職を失った士族を救済するため、旧福島県は旧二本松藩士を大槻原(現在の開成山地域)に移住させ、地元商人たちで結成された開成社との共同で開墾を実施。これにより、明治9(1876)年、開拓の根幹となった桑野村が誕生しました。
その後、明治天皇の東北巡幸に先んじ、下見に訪れた内務卿・大久保利通が、旧福島県と開成社が進めてきた官民一体の開拓事業の成功を目の当たりにし、この地で国営開拓事業の実施を決断したことで、明治政府初の国営農業水利事業「安積開拓・安積疏水開さく事業」が実現。事業は困難を極めましたが、近代土木技術を用いて工事が進められ、明治15(1882)年、約130kmに及ぶ安積疏水が完成。干ばつで水不足だった郡山の未来を切り拓きました。
全国から入植した士族や地元の農民と商人が持つ開拓者精神(フロンティアスピリット)が国を動かしたこの一連の物語は、平成28(2016)年に日本遺産に認定され、郡山の誇る歴史として語り継がれています。
◇今も愛され続ける安積疏水
安積疏水は、農業用水、発電用水、飲料水などさまざまな用途に使われ、かつて5千人だった郡山を農・商・工のバランスがとれた都市へと発展させる大きな力となりました。
今も私たちの暮らしを支えている安積疏水は、市民の生活に深く根付いています。まちなかには安積疏水関連のモニュメントが多く設置され、さまざまなところで先人たちが成し遂げた事業の偉大さを感じることができます。140年以上も私たちの生活に潤いを与える安積疏水は、これからも私たちとともに未来をつくり続けます。
■安積開拓・安積疏水が紡ぐ縁
郡山市は安積開拓・安積疏水開さくの歴史的な背景をもとに、久留米市、鳥取市、ブルメン市と姉妹都市として親交を深めてきました。先人たちのおかげで生まれたつながりは、今後も交流を続けることで、お互いの地域に絆として刻まれていきます。
・久留米市とは毎年、小中学生による「青少年親善交流事業」を実施するなど、交流を深めています。
・鳥取市とは、伝統産業である「因州和紙」と本市の「海老根伝統手漉和紙」を使った和紙交流が行われています。
・安積疏水開さく事業に尽力したファン・ドールンの生誕地であるオランダ・ブルメン市。今も多分野で交流しています。
■〔Interview〕開拓者精神を受け継ぎ活気あるまちに
安積疏水土地改良区総務課 添田 恵悟さん
◇先人の偉業を、未来へつなげる
安積疏水の管理者は、国から県へ、県から組合へと変わり、昭和27年から安積疏水土地改良区が管理しています。土地改良区では、疏水などの維持管理のほか、次代を担う子どもたちや海外の方などにこの偉業を伝える活動もしています。
◇新たな開拓者がたくさん生まれてほしい
安積疏水は、人、土地、技術などがタイミングよく結び付いてできた奇跡の水路です。これからも日本遺産認定や世界かんがい施設遺産登録を受けている安積疏水の歴史を伝え、郡山を開拓者であふれるまちにしていきたいですね。
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