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(巻頭特集)能代(まち)の発展とともに50年 能代港Since1974(1)

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秋田県能代市

能代港が昭和49年の開港から今年50周年の節目を迎えます。日本海交易の要港として栄えた同港。近年は、能代火力発電所の3号機建設工事やクルーズ船入港、洋上風力発電所の立地など、時代の変遷に応じて、その姿や役割を変え続けています。市の発展を支えてきた同港の歴史を振り返りながら、現在進行中の事業などを紹介します。

◆日本海交易の要港として発展
能代港は、県内の諸港の中で最も古い歴史のある港の一つです。阿倍比羅夫(あべのひらふ)が軍船180隻を率いて蝦夷征伐のために上陸したのが能代港といわれています。「続日本紀」には771年、渤海(ぼっかい)国の国使らが船17隻で野代湊(能代港)に着いたと記されています。
米代川河口に位置する能代。流域から金銀銅や木材、米などが運ばれる交易地として栄えました。特に注目を浴びたのが秋田杉です。文禄2年には、豊臣秀吉が朝鮮半島に渡るための大安宅船(おおあたけぶね)の建造のため、領主だった秋田実季(さねすえ)が、船1隻分の秋田杉を送ったという記録もあります。
慶長16年には藩北部の物資集積地とするため、材木受勘定所を設置。これにより能代は飛躍的に発展し、日本海側有数の港町として繁栄しました。寛文12年、河村瑞賢(かわむらずいけん)によって西廻り航路が開発されると「動く総合商社」と呼ばれた北前船の出入りもあり、能代港は日本海交易の要港としてさらににぎわいを増していきました。

◆東洋一の木都の名をはせる
明治30年、能代挽材合資会社を創設した井坂直幹(いさかなおもと)がイギリス製の製材機械を導入。驚異的な能率の向上と品質のそろった製品を作り出すことに成功し、木材業の飛躍的な発展に大きな役割を果たしました。40年には秋田木材株式会社を設立し、能代港から台湾や韓国にも輸出するなど、能代は東洋一の木都として発展しました。
大量の木材が輸入され利用がピークに差し掛かった大正11年、能代港は指定港湾となりました。そして昭和49年8月、5000トン級船舶の入船が可能となり、待望の開港となりました。

◆木材業と近代化
昭和56年に重要港湾に指定。平成5年には能代火力発電所が稼働(1号機)し、これを契機に能代港の取り扱い貨物量が大きく増えました。大水深岸壁の整備も進み、平成13年に
は4万トン岸壁の供用が始まりました。
18年にはリサイクルポート(総合静脈物流拠点港)に指定され、国内循環資源物流ネットワークの拠点としての役割を担っています。一般海域における洋上風力発電の導入に向け、令和2年には海洋再生可能エネルギー発電設備等拠点港湾(基地港湾)に指定されました。
現在は、市が注力する洋上風力発電事業に関連した工事が進行中。次ページでは、市と県の取り組みを紹介します。

◆明治以降の能代港の歩み
大正11年:内務省告知で指定港湾となる
昭和28年:地方港湾に指定
49年:
関税法に基づく開港指定
植物防疫法に基づく特定港指定
54年:大森地区1万5,000トン級岸壁完成
56年:
重要港湾指定
エネルギー港湾として事業開始
58年:日本海中部地震
平成2年:はまなす画廊完成
4年:大森地区にはまなす展望台完成
6年:能代火力発電所稼働
13年:大森地区4万トン級岸壁完成
18年:リサイクルポートに指定
22年:循環資源取扱支援施設完成
23年:拠点化形成促進港(リサイクル貨物)に選定
令和2年:海洋再生可能エネルギー発電設備等拠点港湾に指定
4年:日本初の大型商用洋上風力発電が運転開始

◇能代火力発電所
石炭を主燃料として電気をつくる発電所です。平成5年に1号機、6年に2号機、令和2年に3号機が営業運転を開始しました。総出力は180万kWで、一般家庭400万世帯分の年間消費電
力量に相当します。能代港へは年間で約50隻の石炭船が入港しており、平均すると1週間に1隻ペースで石炭を受け入れています。

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