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【tsulunos PLUS】+スペシャル 春のぐんまで名城散策 No.2

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群馬県

■城用語
分かりにくい専門用語も多い、城用語。知っていると城散策が楽しくなる、基本の用語を紹介します。
本丸(ほんまる):城主(藩主)の住む御殿がある、城の中で最重要かつ中心となる区画のこと
曲輪(くるわ):土塁や壁、柵などで囲んで造った城内の区画で、城を守る単位になる区画
馬出(うまだし):虎口の前にある、曲輪の防御力を強めるために造られた構造物
土塁(どるい):城兵が乗って戦ったり、城内に矢玉が飛び込んだりするのを防ぐための土手
虎口(こぐち):曲輪の出入り口のことで、守る側からは死守すべき場所、攻める側からは真っ先に攻め落とすべき場所
堀切(ほりきり):山城で多く見られる防御構造の1つで、尾根を断ち切る堀

■~飯森さん教えて~ お城散策のマナー
・山城は足元が悪いので動きやすい靴で行く!
・私有地もあるので、通路以外は歩かない!
・現地の植物は傷つけずに、その場で楽しもう!
「ルールを守って楽しみましょう!」

■政治的にも重要な交通の要所
箕輪城(みのわじょう)[高崎市]

▼歴史・見どころ!
榛名山の東南麓の丘陵にある箕輪城は、長野(ながの)氏から武田氏に城主が移った後、織田氏、北条氏、徳川(とくがわ)氏と主が替わり、その度に各大名の有力家臣が城主として配置されてきました。徳川家康(いえやす)が重臣・井伊直政(いいなおまさ)を城主にしたことからも、箕輪城が政治的要所として重要だったことが分かります。その井伊直政が城下町ごと城を高崎に移転したことで廃城となり、当時の姿のまま残されているところも箕輪城の大きな魅力です。

▼ここが見どころ!
歴史に翻弄(ほんろう)された箕輪城の、最後の姿が見られる!

○箕輪城家臣団の城砦 ~一緒に散策~
箕輪城跡の近くにある「北新波砦(きたあらなみとりで)」は、城主・長野氏の家臣である武士の砦があった場所といわれています。現在は史跡公園となっており、公園内に土塁や虎口を見ることができます

○本丸と蔵屋敷をつなぐ「木橋」
高崎市の発掘調査で分かった礎石(そせき)の配置などを参考に、当時の意匠を取り入れて橋脚や欄干を整備しました

○長野業盛(ながのなりもり)と御前曲輪(ごぜんくるわ)の「桜」
城主・長野業盛が武田軍の猛攻に遭い自害したと伝えられる御前曲輪(ごぜんくるわ)は、春になると桜が満開になります

問い合わせ先:高崎市文化財保護課
住所:高崎市箕郷町東明屋
【電話】027-321-1292

■竪堀(たてぼり)に守られた巨大な山城
岩櫃城(いわびつじょう)[東吾妻町]

▼歴史・見どころ!
武田氏が関わって、城を大きく造り直したとされる岩櫃城。戦国大名が築城から関わった、群馬では珍しい城となっています。高低差のある岩櫃山の地形を生かして、通常、等高線に対して並行に造る堀を、山の上から下に向かって縦に造った竪堀が特徴的な山城です。山の高低差で見えにくい城をさらに強固に守るために発達した、さまざまな技術を見ることができます。

▼ここが見どころ!
竪堀と共に押さえたい、岩櫃山の自然地形

○堀の中を通って「本丸」へ
当時は敵の動きを封じるためにあった多くの堀も、現在は安全を考慮して中を通りながら見学が可能です

○岩壁がそそり立つ岩櫃城
本丸は、この裏側、北東の中腹の山麓から見えにくい場所にあります

○一緒に散策
霊山嵩山(たけやま)を全て使う城
岩櫃城の近くに、同じような岩山の「嵩山城跡」があります。山の中腹にある岩櫃城に対し、嵩山城は山の頂上に城を造ったため城の姿が分かりにくく、その違いを見るのも面白いです

問い合わせ先:東吾妻町教育委員会社会教育課
【電話】0279-68-2601
住所:東吾妻町原町

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