■地図を見ると歴史が分かる
今月は、国土地理院に勤務していた市民学芸員の坪井達雄(つぼいたつお)さんが、明治時代の地図「迅速測図(じんそくそくず)」について話してくれました。
歴史博物館最上階の床面に地図が展示されています。通称「迅速測図」と呼ばれる地図で、正式名称は「第一軍管地方2万分1迅速測図原図」です。
この地図は、明治政府が国家の一大事業として作成したものです。国土地理院の前身にあたる陸軍参謀本部陸地測量部が、明治13年(1880)から6年かけて完成させました。地図の整備範囲は、関東平野、房総・三浦半島のほぼ全域で、約15,600平方キロメートルを921枚でカバーしています。明治政府にとって初の広域測量であり、近代測量の基礎となりました。
この地図が作られた背景には、明治時代の初頭に全国各地で起こった反乱があります。中でも明治10年(1877)の西南戦争では、政府軍が地理が分からず大苦戦をし、地図の必要性を痛感したことがきっかけでした。政府は、首都防衛のため関東平野全域を緊急に地図整備することとし、熟練した平板測量による迅速測図方式で行いました。
迅速測図は、華麗かつ繊細で見た目にも美しく、我が国の近代地図における傑作の1つといわれています。また、余白に風景や著名な建物、河川の断面図などのスケッチがあるものもあり、地図の表現をより一層豊かにしています。これらのスケッチは、江戸時代の面影を色濃く残す明治時代前期の日本を、西洋画の技法で巧みに描写した貴重なものです。迅速測図は、1世紀以上を経ながら、奇跡的に1枚も欠けることなく国土地理院に継承・保管されてきました。
歴史博物館の屋上で霞ヶ浦や北浦周辺の迅速測図を見ることができるほか、国土地理院のサイト「古地図コレクション」で公開されています。遠い明治時代に思いをはせながら、ぜひご覧ください。
問合せ:歴史博物館
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