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【歴史にふれる】四国八十八ヶ所写し 出島霊場

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茨城県かすみがうら市

~市民学芸員 飯塚さん寄稿~

四国八十八ヶ所霊場の巡礼は、弘仁(こうにん)6年(815)に、弘法大師空海が42歳の厄年の時に開設したとされています。はじめ、巡礼行為は宗教者による修行でしたが、江戸時代になると一般庶民も現世利益(げんぜりやく)を求めて巡礼を行うようになりました。しかし、実際に四国に赴き、更に1,200kmもの遍路道(へんろみち)を踏破(とうは)することは、容易なことではありませんでした。
この実状に心を痛めていた長福寺(下軽部)の正応上人(しょうおうしょうにん)は、自ら四国八十八ヶ所霊場を巡り、それぞれの霊場の土や砂を持ち帰りました。そして明和(めいわ)4年(1767)に近隣の寺院境内に持ち帰った土や砂を埋め、弘法大師像を祀り、写し霊場を開設しました。この写し霊場は「四国八十八ヶ所写し出島霊場」と呼ばれ、県内の写し霊場の中でも2番目に古いものです。その範囲は広く、旧霞ヶ浦町を中心として旧千代田町、土浦市、石岡市にまで及んでいます。
その後、天保5年(1834)の弘法大師一千年御遠忌(いっせんねんごおんき)(没後千年)をきっかけに、全国各地で写し霊場が開設されました。また、寺院境内の一角に八十八ヶ所霊場をまとめた「境内新四国霊場」と呼ばれるものを開設した寺院もあります。市内でもいくつかの寺院に「境内新四国霊場」が残っており、特に長福寺では現在もほぼ完全な状態で保存されています。長福寺では、「出島のシイ」(樹齢約700年の大木)の根元に八十八体の弘法大師像が祀られており、一見の価値があります。
現在、市内には、八十八ヶ所写し霊場の寺院名や御詠歌(ごえいか)などを記した筆写本(ひっしゃぼん)が残っています。市民学芸員の会では、筆写本を基に、「写し出島霊場」を調査し、小冊子にまとめました。市図書館でご覧いただける他、歴史博物館にて1,000円で販売していますので、ぜひご一読ください。

問合せ:歴史博物館
【電話】029-896-0017

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