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小美玉市の歴史を知ろう65

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茨城県小美玉市

■小美玉市を通っていた古代官道と八幡太郎義家伝説
◇道で結ばれる都と常陸
律令国家は、中央と地方の連絡を密にし、兵をすばやく移動できるよう道路網を整備しました。道路には等級があり、大路(おおじ)(山陽道)、中路(ちゅうろ)(東海道、東山道)、小路(こうじ)(北陸道、山陰道、南海道、西海道)に分かれていました。
常陸国は中路の東海道に属し、都からの終点にあたります。静岡市曲金北(まがりかねきた)遺跡では、側溝を含めた幅約12m、長さ約350mにわたって一直線に延びる古代東海道が確認されました。道路の側溝から常陸国産の須恵器(すえき)や「常陸国鹿島郡」と記された木簡(もっかん)が出土しました。都と地方を結ぶ東海道を利用して、常陸国からも物資が運ばれていたのです。

◇陸奥(むつ)国へ延びる官道(かんどう)と安侯駅家(あごのうまや)
笠間市五万堀古道が常陸国府から東北へ延びる官道と考えられることや、笠間市東平遺跡が安候駅家と考えられることが調査によって明らかになりました。
東平遺跡の所在する笠間市大字安居(あご)は涸沼(ひぬま)川の南岸に位置し、「あご」という地名や長者屋敷の伝承、炭化米の出土などから、安侯駅家の遺称地(いしょうち)と考えられていました。発掘調査では長さ21m、幅10mほどの礎石建物跡や大型の掘立柱建物跡などが確認されました。
駅家には籾(もみ)を蓄えておくための大型の倉があり、「騎兵長十」と記された墨書(ぼくしょ)土器が出土していることから、騎兵が駐屯(ちゅうとん)していた可能性が考えらえています。

◇羽鳥地区に残る官道跡と義家伝説
羽鳥地区とその周辺には、八幡太郎義家(はちんまんたろうよしいえ)が奥州遠征の際、五万の兵を連れて通ったという伝説に因む「五万堀」の小字(こあざ)や細長い堀跡(窪地(くぼち))がいくつも残っています。手堤、高田、江戸、羽刈、花館、羽鳥などに「五万堀」の地名が残っており、それらを結ぶと一本の直線上に安侯駅家方向へと連なるのです。
手堤地区の五万堀で観察した道路の断面は幅約9m、厚さが40cmほどあり、両側に幅約90cmの溝がありました。このような断面と大規模に一直線に延びる状況から古代官道と考えられます。しかも羽鳥地区ばかりでなく、このルート上の安侯駅家や水戸市渡里地区にも長者伝説やを五万堀(窪)などの地名があります。
この直線道を平安後期に八幡太郎義家が通過したことを裏付けています。
(市文化財保護審議会長 海老澤稔)

○語句解説
官道(かんどう):飛鳥時代から奈良時代に都と地方の国府とを結ぶための幹線道路として整備された大型直線道路(五畿七道(ごきしちどう))などを指す。
国府(こくふ):奈良・平安時代、地方の国ごとに置かれた政務を執(と)るための施設。今の県庁にあたる。常陸国は現在の石岡市に置かれた。
駅家(うまや):官道に沿って、30里(現在の距離で約16km)ごとに置かれた施設で、乗り継ぎ用の馬が備えられていた。

問い合わせ:生涯学習センターコスモス
【電話】0299-26-9111

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