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小美玉市の歴史を知ろう 70

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茨城県小美玉市

■おみたま発掘ものがたり(1)~令和2~5年発掘調査~
私たちが生活している地下には、遺跡が埋もれており、遺構(建物など)や遺物(土器、石器など)が発見されることがあります。市内には、442か所、全国では46万か所の埋蔵文化財包蔵地(まいぞうぶんかざいほうぞうち)が所在しています。
遺構や遺物は、昔の人々の暮らしを知る手がかりになりますが、埋蔵文化財は一度、壊れてしまうと二度と元に戻すことができません。そのため、土木工事などで遺跡が影響を受けてしまう場合には、発掘調査を実施することで記録保存をしています。
今回は、令和2~5年にかけて実施された7つの調査成果のうち4つを紹介します。

◇令和2年の発掘調査
竹原小学校遺跡は、古墳時代前期(1700年前)と平安時代(1000年前)の大規模な集落遺跡です。発掘調査では、縄文時代(6000年前)~江戸時代(300年前)の各時代の土器などが出土しました。竪穴建物跡からは、当時の生活の道具である土器(土師器(はじき)・須恵器(すえき))、砥石(といし)、土玉(どたま)(漁の道具)、石製紡錘車(ぼうすいしゃ)などが見つかりました。他にも古墳時代の鏡をまねて作った土製模造鏡、1mを超える須恵器の大甕(おおかめ)などの特殊な遺物も出土しています。
竹原天神遺跡は、園部川中流域に位置する標高25mの台地上に所在する集落遺跡です。住宅建設工事に伴う発掘調査で、古墳時代中期(1600年前)の竪穴建物跡が確認され、土師器が出土しています。

◇令和3年の発掘調査
川中子の城之内館跡は、園部川河口付近の標高2mほどの低地に築城された中世の城館跡です。堀や土塁で囲まれた方形を呈しています。住宅建設工事に伴う発掘調査で確認された幅2mほどの堀跡からは、古瀬戸(こせと)の灰釉筒形香炉(はいゆうつつがたこうろ)が完全な形で見つかりました。その香炉は、漆で継いで修復されており、15世紀の中頃に生産されたものと思われます。城之内館が落城したのは今から約430年前、そして、香炉が生産されたのは、約570年前、落城後に香炉が廃棄されたとすると、約140年間、伝世したことになります。
部室平遺跡は、巴川支流当間川との合流地点付近の標高27mの台地上に所在する集落遺跡です。農道改良工事に伴う発掘調査で、一辺7m以上の大型の竪穴建物跡が発見されました。出土した土師器、須恵器、鉄製品から、律令体制が地方にも定着しつつある7世紀末の頃のものと考えられます。遺物で注目されるのは、刀子(とうす)(小刀)や硯(すずり)の存在です。奈良平安時代は、紙は貴重であったため、伝達の手段として用いられたのは木簡(もっかん)で、文字を書くための道具は硯や筆でした。刀子は木簡に書いた文字を削るための道具で、現在の消しゴムの役目をします。部室の地に住むムラの指導者が戸籍などの文書作成に関わっていたのかもしれません。(次号につづく)
今回紹介した調査成果は、玉里史料館の参考展で観ることができます。
(玉里史料館 本田信之)

◆参考展
おみたま発掘ものがたり-令和2~5年度調査遺跡紹介展-
会期:10月3日(木)~令和7年1月26日(日)
場所:玉里史料館(高崎291-3生涯学習センター内)
休館日:月曜日(11月4日は開館)、10月15日、11月5日、23日、12月28日~令和7年1月4日、1月14日

問合せ:生涯学習センターコスモス
【電話】0299-26-9111

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