◆鴨鳥五所神社保存修理で相次ぐ新発見
鴨鳥五所神社本殿(大泉地区)の保存修理事業の完成が近付いてきました。
木造建築物は50年~60年おきに大規模な修理が行われることが多く、特に屋根や縁廻(えんまわ)りなど傷みやすい場所は、部材の交換も多くなります。
出来る限り多くの部材を後世に伝えようと、昔から大工たちが工夫を重ねてきましたが、それでも交換となる場合、元の部材を屋根裏などに保管することがあります。
◇しまわれていた蟇股
今回の修理では、天井裏から江戸時代の蟇股(かえるまた)が出てきました。上部の重みを分散して支える部材で、蛙が足を広げた様子に見えるので蟇股と呼びます。その底部に「元禄四辛未弥生日
作者常州坂戸飯岡村浦田庄左衛門(うらたしょうざえもん)」と記されており、元禄4年(1691年)3月に飯岡村(西飯岡)の浦田庄左衛門が作成したことが分かります。
小ぶりなので別の建物の部材かも知れませんが、記録の書かれたものを大切に残したということは分かります。
◇年代当てクイズ
他に板絵の一部も出てきました。内陣の天井板に転用されていましたが、扁額(へんがく)だったのかも知れません。
裏には「十一己未十二月吉辰 再粉也」とあります。吉辰は吉日、再粉は彩色し直した、という意味ですが、元号の部分が失われて分かりません。さて、いつの11年なのでしょう。
答えは寛政11年(1799年)です。鍵は干支の「己未(つちのとひつじ)」です。干支は甲乙丙の十干と十二支の組み合わせなので60年に一度しか同じ干支は巡って来ません。
年表を見ると、11年があって干支が己未になるのは寛政11年しかありませんので、答えが分かるのです。
◇建築当初の部材
現在の社殿は500年以上前の建立ですが、当時の部材も残っているのでしょうか。
屋根や縁廻りの他、一部の柱や扉も交換されていますが、主な柱や貫(ぬき)は当初とみられます。また、内陣の床板を下から見てみると、不整形になっています。鋸(のこぎり)で板を切り出したのではなく、楔(くさび)を打って割り剥(は)ぐ打ち割り製材を行った跡が見えます。この工法は室町時代まで使われており、室町時代の建物であることを証明しています。
教育委員会文化財課文化財グループ
(【電話】58-5111・75-3111代表)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>