■六月の古文書から
時宗を束ねる清浄光寺(遊行寺・神奈川県藤沢市)の住職は遊行上人(ゆぎょうしょうにん)と呼ばれ、全国を歩いて念仏を広めました。戦国時代の遊行上人、他阿有三(たあゆうざん)が真壁道無(まかべどうむ)に出した6月21日付けの手紙が真壁文書にありますのでご紹介します。
(前略)又先日物語申候草紙、只今進入候、今日迄失念申候而延引迷惑仕候、老耄之儀候間、可有御免候歟、尚貴面之時分、可申承候間、令略候、恐々謹言、南無阿弥陀仏
六月廿一日 有三
闇礫軒へ
おかしき草紙にて候、御用所之儀斗うつしおかせられ候ハヽ尤可然存候、か様之物をハ茶湯かたにハ他人に一かうかへし申候と承及候(後略)
興味深い草紙(冊子本)を使者に持たせるので、写しおくと良い、茶の湯の接待でも重宝するといった内容です。
闇礫軒(あんれきけん)は戦国時代の当主、真壁久幹(まかべひさもと)(道無)のことで、戦国武将も茶の湯などに興味を持って文化人と付き合っていたことが分かる史料です。
江戸時代に入り、6月15日付けで時宗の常永寺(真壁町古城)にあてた、遊行上人の手紙も残っています。
一筆令啓達候、各弥可為御無異珍重令存候、老衲此節於信州野沢令化益候、将亦当極月中旬頃より、於常永寺賦算可令越年存候、其節各御取持頼入存候、右可申述如是候、穴賢
名号
六月十五日 遊行上人
真壁 常永寺 惣檀中
(大関家文書)
(大意)老僧の私はこのたび信州野沢で念仏での布教を行いました。また、12月中旬頃から常永寺で念仏札を人々に配り、年を越そうと思っています。その時は皆さまのお取り成しをお願いします。
この手紙は宝暦八年(1758年)に野沢(長野県佐久市)を訪れていた他阿一海上人が常永寺に出したもので、年末年始に真壁に滞在して活動を行う意向を伝えています。
歴代の遊行上人が廻国しており、この年に限らず桜川市域を何度も訪れています。羽黒の福蔵寺(加茂部)から真壁の常永寺、そして鷲宿の西照寺(高久)や蔵福寺(筑西市)へ向かっています。
さて、6月15日は、現在の暦では7月下旬、今年だと7月20日にあたりますが、夜空にまん丸の月が昇っていたはずです。これは旧暦が月の満ち欠けを基本とし、新月を月の初めとするからで、十五夜はほぼ満月になるのです。
真壁祇園祭の神輿還御も6月15日に行われていました。
問合せ:教育委員会文化財課 文化財グループ
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(代表)
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