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かさまのれきし第78回

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茨城県笠間市

■稲田川
稲田川の本流は福原地区・稲田地区を西から東に流れ、来栖地内で涸沼川に注いでいます。稲田川の源流は、吾国山の西側にある福原地区の沢と寺口の二つです。沢からは兵道内(ひょうどううち)へ、北関東自動車道の南側に蔵前橋、新蔵前橋があり、さらに北に行くと枕橋があります。この橋は平成四年三月竣工です。寺口からは上郷、兵道内、枕へと流れています。昔は、片山橋の西側にある第五用水機場が、この二つの川の合流地点でした。地元の方の話によると「そこに堰(せき)があった」と言われ、中山堰ではないでしょうか。現在は第五用水機場の西側が合流地点になっています。片山橋は、平成三年三月竣工です。ここから、広々とした田園地帯がみられます。昔は片山橋より下流の所で頻繁に洪水が発生したと言われています。中ノ内に上(かみ)の下橋(したはし)があり、平成五年三月に竣工です。その橋の西側に平成十三年二月に建てられた土地改良事業記念之碑があり、「平成元年十二月福原上稲田土地改良区を設立し、以来十二年の歳月を経て関係諸機関の指導のもと、総工費十三億七千万円余を投じ、総面積八十五ヘクタール余の圃場が整備された」と記されています。さらに北に伸び、水戸線を越して福原駅の東側で、ゴルフ場(新地)付近にある池から並木、長久保、駅前と流れてきた福原川と合流し、水戸線に沿って流れます。福原駅付近も昔はしばしば洪水がありました。稲田中学校の入口の近くには西根橋(にしねはし)があり、平成五年三月竣工です。
元禄十年(一六九七)「関戸村差出帳下書」(仮題)に片山堰、火野口(ひのくち)堰、遠下(とおのした)堰、大堰、長町堰、蝿坊田(はえぼうだ)堰などが書かれていますが、現存していません。
稲田の市街地に入り天王橋と更に下流に神田橋(しんでんはし)があり、この橋の下には鯉が数匹泳いでいます。平成十年に「この汚れた稲田川を何とかして鯉が安心して泳げるきれいなもとの川にならないだろうか」(鯉まつり実行委員長)という願いから、「笠間市まちづくり教室」の稲田班が稲田鯉まつり実行委員会を結成しました。そして、神田自治会の協力と稲田地区の各子供会に呼び掛けて三月二十八日に試験放流として鯉の稚魚三千匹を天王橋と神田橋の間に放流しました。
さらに下流で稲田の大広・入道・前山・石ヶ崎(富谷稲田線)を流れる稲田沢川と合流します。稲田沢川は石切山脈の山麓を流れ下っています。少し下流に行くと本戸から流れてくる宝川と合流します。下流に行くと、来栖と稲田の境近くに来栖の香林寺という地区があり、そこに高坂堰(たかさかせき)があります。さらに下流に行くと、稲田地内の東端のところで大郷戸・飯合から流れてきた川と合流します。下流に行くと、片庭の二所神社の北西を水源とする枝垂川が片庭・箱田・石井の南側を流れ、来栖で合流し、その地点からわずか下流の所に小塙堰(こばなせき)があります。来栖上郷の水利組合員は、四月初めに集まって水利組合総会を開き、土手の草刈りや川の水を流れやすくするためにごみを取ったりしています。下流の折戸橋は昭和三十八年一月竣工で、鯉が七、八匹くらい泳いでいます。下流へ行くと新しくできた国道三五五号笠間バイパスの来栖橋南の信号の北に来栖橋があり、平成十八年八月竣工です。来栖橋南の信号を笠間駅に向かって二十メートルくらいのところに見田々橋(みたたはし)があり、昭和六十一年十月竣工です。そして涸沼川に注いでいます。
延享四年(一七四七)来栖村の「村差出帳」に折戸堰、小塙堰、高坂堰の三つの堰のことが記載されています。
稲田川は、周囲の山地などからの水を集め、貴重な水を地域の住民に供給しています。過去、何度か水害が発生しましたが、河川改修も行われ、洪水による被害が少なくなってきました。
市史研究員 福島和彦(ふくしまかずひこ)

問合せ:生涯学習課
【電話】内線382

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