※Parolaは「言葉または保証」という意味
■後一歩先踏み入れられるか…色々な境と世界
今年で南島原での3回目の梅雨を迎えていますが、未だ慣れずにイタリア人の心を持っているエマです。おそらく、皆さんにとって当たり前な事かもしれませんが、冬と秋にだけに雨季がある環境で育ってきたイタリア人にとって、夏の間に何日間も雨が続くことが不思議としか思えません。これは、自分の頭の中の境界線です。
境界線と言えば、絶対乗り越えちゃダメな線のようなイメージが思い浮かびますが、実際はその境界線は意外と柔軟であり、自分の脳みその視界線に普段から入ってない物事です。例えば、梅雨の存在に慣れていなくても、傘さえがあれば、イタリア人に不思議な夏の雨の中でも普通に歩けます。
おそらく皆さんも気づかずに、よくいろいろな境界線を超えていると思います。特に、夏になると、太陽が遅い時間まで空を飛び続けて、多くの人は普段よりいろいろなことを遅くしているでしょう。例えば、夕日を見ながらビールを飲みたかったら、冬には午後6時前からにしますが、夏であれば午後7時はまだまだ早いでしょう。そして、冬の夜に植物に水をやると根が凍ってしまいますが、逆に夏に水をやらないと脆い植物は枯れてしまうこともあります。時期によって、同じ時間と言っても、簡単なことで皆さんも時間の境界線を超えています。
境界線は国によってだけではなく、人によって異なります。例えば、5月に有家町から口之津町に引っ越しました。日本地図や長崎県地図を見ると、同じ市内で、短い距離に見えますが、私からするとまるで外国に入った気がします(すでに外国人なのに)。前の家の有家の目印、近くの田んぼのカエルの耳印も効かなくなり、少しずつ口之津のカエルの声と目印に慣れ続けています。法律の面でビザが必要ないと言っても、いろいろな人の境界線にお邪魔させていただいて、自分の新しい生活の境界線を作っています。新しい町でも、みんな、優しくしてくださいね。
このように、境界線をしっかり守る日本の皆さんも境界線が重なったり、被ったり、合ったりして、いつも通りに見える生活を送っていますが、自分の境界線から首を伸ばしたら、たくさんの面白いことに気づくでしょう。自信がついた人は新しい境界線に一歩踏み入れるのも面白いでしょう。そして、口之津町でたくさんの境界線に沿って、転ばないように歩く人を見かければ、「エマ!」と呼んで、声をかけてください!
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