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没後80周年記念特集 大村の偉人 石井 筆子

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長崎県大村市

◆知的障がい児教育に生涯を捧げた石井筆子
[1861~1944]肥前国大村生まれ
知的障がい児教育の父といわれる石井亮一とともに「滝乃川学園」を運営し、近代の知的障がい児教育に尽力

◇写真から紐解く筆子の一生
(1)筆子は、大村藩士の渡辺清と妻・ゲンの長女として生まれました。幼いころから手厚い教育を受け、外国の書物などに触れながら成長し、上京すると間もなく官立東京女学校に入学。外国語や西洋の事情などを学びました。
(2)後に勝海舟の息子と結婚したクララ・ホイットニーとは、ホイットニー家の塾で出会いました。筆子はクララによって、女性観などに大きな影響を受けます。その後、筆子は19歳でヨーロッパへ留学します。
(3)(4)帰国後、津田梅子らとともに政府が設置した華族女学校の教師となりました。後に静修女学校の校長に就任するなど、日本の女子教育のために貢献しました。
(5)留学後に結婚した小鹿島果との間に3人の子が生まれましたが、長女・幸子には知的障がいがありました。障がい者への理解が乏しかった時代、社会から向けられる偏見に、筆子は失意の底に沈みます。また、次女と三女は幼くして亡くなってしまい、果もまた、35歳の若さで肺結核のため亡くなりました。
(6)筆子の父・清または叔父・昇から結婚のお祝いに贈られたとされる天使のピアノ。今も滝乃川学園に現存しています。
(7)(8)(9)(10)石井亮一は、濃尾大地震で人身売買の標的となる被災地の少女を救うため、「聖三一弧女学院」を創設。その後、孤女学院に「白痴教育部」を設置し、「滝乃川学園」と改称。日本初の知的障がい児の教育施設が誕生しました。果と死別した筆子は、亮一と出会い結婚し、知的障がい児教育・福祉へ尽力する道を歩み始めます。
(11)(12) 1920年に滝乃川学園で火災が発生し、園児6人が亡くなりました。学園の閉鎖を検討するも、皇后陛下の励ましで再建を決意。翌年、渋沢栄一が第3代学園理事長に就任しました。筆子は、亮一と二人三脚で滝乃川学園の経営を行い、幾多の困難を乗り越えていきました。
(13) 1932年、脳いっ血で倒れた筆子は半身不随となり、車いすの生活になりました。さらに、1937年に学園を維持するために莫大な借金を抱えたまま、夫・亮一が死去。学園長に就任した筆子は、困難に挫折しそうになりながらも何度も立ち上がり、社会的弱者とされてきた人たちの教育と尊厳を確保するため、人生を捧げ続けました。1944年1月24日、筆子は学園の職員、保母数人に見守られるなか、静かにその生涯を終えました。

※写真は本紙6~7ページをご覧ください

◇年表

◇特別番組を放送予定
1月下旬におおむらケーブルテレビで石井筆子をテーマとした特別番組を放送します。YouTube市公式チャンネルでも配信予定です。

問合せ:広報戦略課
【電話】内線204

◇まんが おおむら人物伝 石井筆子
販売を行います。
この機会にぜひお買い求めください。
書籍情報:令和3年刊行、B6判、モノクロ・カラー、ソフトカバー
価格:1,000円(税込)
販売場所:歴史資料館

問合せ:歴史資料館
【電話】48・5050

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