■縄文時代後期の志多留の祈りの場?
「志多留貝塚」
志多留貝塚(上県町志多留)は、志多留地区の小屋群がある広場を中心に広がる縄文後期(約4,000年前)の遺跡です。北九州地域でよく見られる土器が出土することで、考古学者たちの間では早くから知られていましたが、1930年代の発掘調査の結果、その詳細が報告されています。
志多留貝塚の縄文土器には精製土器と粗製土器があり、量的には粗製品が圧倒的に多くなっています。粘土に貝殻を混入したものが多く、粗い文様が付けられているものが目立ちます。粗製土器の中には、日本の縄文土器の分類にあわないものがあり、韓国にも類例があまりみられないことから、対馬で生産した固有のものではないかと考えられ、さらに九州系の土器にしても、粗製のものは対馬で作られたと考えられています。
石器は、石鏃(せきぞく)、石銛(いしもり)、石斧(せきふ)、石包丁、敲石(たたきいし)など豊富な種類が確認されています。また、骨角器では釣針、銛、それからサメの歯の装身具、貝釧(くしろ)などが出土しています。
万物に精霊が宿るとする信仰(アニミズム)があったとされる縄文時代において、貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、魂が抜けたものを集積する場所として祭祀的な意味を持ち合わせていたとする説に基づくと、志多留貝塚は、集落の中心地に広がっていることからも祭祀を行う場所として機能していたことが考えられます。
次回は、護岸に眠る縄文遺跡「西加藤遺跡」を紹介します。
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