■曲の海女がいた営みを残し、伝える
生業としての海女がいなくなった現在、曲地区では、当時の道具を保存し、展示したり、海女船を再現した模型を作るなど、伝えたり残したりする取り組みを行っています。その思いは、地域を越えて広がろうとしています。
福岡出身の美術作家、山内光枝(てるえ)さんは、10年ほど前に海女たちが裸で海にたたずむ写真を見て、衝撃を受けました。裸で自然と対峙する姿は、現在の価値観では計ることができないと感じたからです。元々、社会の既存の価値観の中で判断することに疑問を抱きながら育ち、価値観や人々の想像を超えて表現するアートの世界に魅力を感じて美術作家となった山内さんは、今を生きる人たちとは違う目線に立つことで見える世界観を表現してきました。
○海女がいた世界観を多くの人に知ってもらいたい
山内さんは、地元福岡の鐘崎をはじめ、沿岸の漁業集落に滞在して、海女との交流を始めました。2013年には、海女が潜る姿を映像に記録したいと、韓国済州島に渡り、海女学校で素潜りの水中撮影を体得します。各地に滞在し、創作活動を続けてきた山内さんは、曲地区で多くの時間を過ごし、地域の人たちとのふれあいの中から見えた世界を作品に込め続けています。
○香月さんとの旅の記録が多くの人々の心に届く
曲地区に通うようになって8年ほどが経ったとき、香月ツルエさんとともに、福岡県宗像市鐘崎へ向かいます。
香月さんが曲海女の源流である鐘崎だった場所を訪ねたいと考えていたのをきっかけに実現した旅は、山内さんの手によって撮影、編集され、映画として多くの人たちの心に届く作品となりました。
山内光枝(やまうちてるえ)さん
1982年福岡県生まれ福岡県在住、同地を拠点に活動
2006年、ロンドン大学ゴールドスミス校BAファインアート(イギリス)を卒業。
2013年には済州ハンスプル海女学校(韓国・済州島)を卒業、素潜りでの水中撮影を体得する。
2015年に文化庁新進芸術家海外研修制度、2016年には国際交流基金アジアフェローシップの支援を受けてフィールドを海洋アジアへと広げる。
「東京ドキュメンタリー映画祭2019」で、玄界灘を舞台とした初の長編映像作品『つれ潮』(本展出品作)が奨励賞受賞。最近の主な展覧会に「水のアジア」(福岡アジア美術館、2023年)、「日本パビリオン」(光州ビエンナーレ・韓国、今年9月開催予定)がある。
■海女をテーマに作品を作る理由
7月13日から対馬博物館で開催される「泡ひとつよりうまれきし山内光枝展」は、山内さんが10年以上にわたって、曲地区や海女文化について感じたことを形にした企画展です。海女の世界を感じてもらうため、展示では、山内さん自身の作品だけでなく、民俗写真家の芳賀日出男さんが残した写真、曲地区の人たちが残した道具や海女船の模型なども展示され、海女という文化を伝えたいという山内さんの思いが詰まった企画展となっています。
海女や対馬と出会って10年以上が経つ今、山内さんが海女をテーマに作品を作り続ける理由について、こう話します。
「日々の暮らしの中で少しづつ変化していくことは、私たち人間が生き続けていることなんだと思います。同時に人類は、伝えたり、記録として残すことをやめることもありませんでした。自然と対峙する海女は、人間の文化そのものだと思います。曲の人たちが使わなくなった道具を残したり、手間をかけて当時の船の模型を再現したりしているのも、人間の文化に魅了された人たちの表現だと思います。今回の企画展は、私が10年以上通った中で見えたものをまとめた、ラブレターのような存在だと思っています。私だけでなく、対馬の人や風土の中でともに育んできた作品たちを見ていただき、皆さんご自身の思いを感じてもらえたらと思います。」
▽企画展の魅力を学芸員に聞きました
今回の企画展を一言でいえば「海女の呼吸を感じる展覧会」だと思っています。現在、曲地区では、仕事として海に潜る海女はおらず、人々の記憶の中の存在となってしまいました。今回山内さんが作り上げた展示室の空間に置かれた作品や資料は、海女がいた対馬の風景と、現代を生きる私たちをリアルにつないでくれる存在です。また、映像や写真、作品の一部に触れることができるので、体全体の感覚で対馬の海女文化や人と自然との関わりについて知ることができると思います。
山内さんは、自らが触れた海女の営みや記憶を自らの体を媒介にして伝えるべく、素潜り撮影を体得されたり、長い時間をかけて、海女やその家族が暮らす地域に寄り添っています。だからこそ、作品を観る人たちが、海女の呼吸を感じるという、日々生活するだけでは感じることのない感覚を得ることができるのだと思うのです。
言葉では言い表すことのできない海女とその家族とのつながり、そして、山内さんの思いが詰まった企画展にどうぞ足を運んで、皆さんの体の記憶のひとつとして、自然の中に身ひとつで生きた海女の姿を残していただけたらと思います。
対馬博物館
小栗栖 まり子学芸員
『泡ひとつよりうまれきし 山内光枝展』
期間:9月23日(月・休)まで(木曜日休館)
観覧料:一般・大学生300円(市民は190円)高校生以下無料
9月中旬にはトークイベントを開催予定です。詳しくは博物館ホームページをご覧ください。
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