文字サイズ
自治体の皆さまへ

特集 物語を今に伝える 西海市の国指定文化財(1)

1/31

長崎県西海市

~これからも残していきたい遺産~
陸の孤島と言われていた場所に交通手段の一つとして架けられた西海橋。
私が子どもの頃、まだ車も少なかった時代に、全国から多くの大型観光バスで観光客が訪れ、観光地として大変賑わいました。
しばらくしてブームが去り、オランダ村ができたことで再び賑わったが、ハウステンボスができたことでピンチに。そんな中、令和2年12月に「国指定重要文化財」になり、再び脚光を浴びました。
西海橋が観光地として浮き沈みがある中で不滅に頑張っている姿を長年間近で見てきて、これからもみんなの記憶にしっかりと残していきたい。
若い世代の方たちに力を貸してもらい、西海橋という遺産を次世代につないでいってほしいです。

有限会社 西海橋物産館 常務取締役 総支配人
小松屋隆久(こまつやたかひさ)さん
西海橋のたもとにある、西海橋物産館に長年お勤め。西海橋の歴史を見守り続けている。

■国指定文化財とは、文化財保護法に基づき、文部科学大臣が指定する我が国の長い歴史のなかで守り伝えられてきた国民的財産です。
西海市内には、西海橋(重要文化財)、ホゲット石鍋製作遺跡(史跡)、七釜鍾乳洞(天然記念物)の趣の異なる3つの国指定文化財が存在します。
今号では、それぞれの歴史的背景に触れながら、その魅力をご紹介します。

◆西海橋
西海橋架橋以前の橋は、川に架けられるものでした。
西海橋は、大村湾と佐世保湾を結ぶ伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)に架けられた橋で、戦後間もない昭和30年に完成しました。この架橋は全国から観光客を集め、「陸の孤島」と呼ばれていた西彼杵半島に社会・経済・交通の発展をもたらしました。
「橋の長さ」は、橋脚(支点)と橋脚の間の長さである支間長で評価されます。支間長が長いほど架橋に高い技術が必要とされます。西海橋の支間長216メートルは架橋当時国内最長でした。
国は西海橋を次のように高く評価し、「技術的に優秀なもの」「歴史的価値の高いもの」の指定基準に該当するとして重要文化財に指定しました。
「中央の鋼製アーチは、建設当時我が国最大の支間(スパン)216メートルで、戦後の物資不足の中、力学的合理性に基づく繊細な部材構成を実現している。設計、製作、施工のすべての面で卓越した技術が駆使された、我が国初の海峡横断橋で、その後世界最大級の規模を実現する戦後長大橋の出発点」

▽橋が観光地となる
西海橋は架橋後に観光地として有名になりました。当時の新聞によれば昭和30年10月18日の竣工式には約7万人の人々が訪れたと報じられています。
カラーテレビもSNSもない時代。西海橋と伊ノ浦瀬戸の景観は訪れた人たちの口コミで広まったと推測されます。
橋ではありませんが、昭和29年には名古屋テレビ塔、昭和33年には東京タワーが完成し、多くの観光客を集めていました。西海橋が完成した昭和30年代は、戦後復興が本格化し、高度経済成長期に向かう中で団体旅行の需要が拡大した時代でした。これらの橋や塔などの「土木構造物」は交通や通信といった本来の機能を果たすとともに人々が余暇を過ごす観光地としても存在感を高めていきました。
昭和32年8月1日に佐世保市観光課が発行したパンフレットでは西海橋を「渡るよりも見る橋として皆様方から喜ばれています。この変化に富んだ新しい観光地へ皆様方の御来遊をお待ち致しております」と紹介しています。
また、平成18年に新西海橋が開通し、2本の橋梁が並び立つ特徴的な景観となっています。

▽西海橋架橋70周年に向けて
西海橋は、本県で国民文化祭が開催される令和7年に、架橋70周年、重要文化財指定5周年を迎えます。西海橋の価値と多くの橋で結ばれた本市の景観を発信するため、記念事業を予定しています。また、海上から伊ノ浦瀬戸の歴史や西海橋・新西海橋のアーチの特徴や架橋技術などを学ぶ「西海橋クルーズ講座」を今年度も開催します。ぜひご参加ください。

内容:横瀬浦から西海橋までのクルーズ講座。海上から西海橋の文化財としての価値、弁天島、伊ノ浦瀬戸の歴史を学びます。
日時:12月2日(土)11時~12時
場所:横瀬西港集合・解散(西海市西海町横瀬郷4107-7)
講師:社会教育課職員
申込:11月30日(木)までに社会教育課にお申し込みください。
【電話】37-0079

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU