◇この夏、考えてみませんか
「忘れない戦争のこと」「日常の平和のこと」「明日の平和のこと」
1945年8月15日の終戦から79年目を迎える今年の夏。いまだに世界の各地で起きる戦争や紛争が絶えません。日本では戦争を経験した方は高齢世代となり、戦争を知らない世代が人口の約80%を占めています。
今回の特集では、当時の暮らしの記憶を伝え、平和の尊さを後世につなぐとともに、平和について、一人ひとりが改めて考える機会になることを願っています。
▽戦争体験を語る。子ども時代に体験した戦争による時代の変化と終戦
《Interview》
永神繁義(ながかみしげよし)さん(93歳)
永神千鶴(ながかみちづる)さん(89歳)
西海町
昭和16年に始まった戦争*当時、まだ小学生だった頃に体験したことや当時の様子について永神さんご夫妻にお話を伺いました。
*太平洋戦争……昭和16(1941)年12月8日〜昭和20(1945)年8月15日
▽当時の学校や子どもたちの様子
【繁義さん】
自宅から小学校まで片道一里(約4キロメートル)を1時間かけて歩いて通っていました。当時は1学年3学級、1学級に50名近い生徒がいました。昭和16(1941)年ごろは普段とあまり変わらず生活をしていました。昭和19年ごろになると英語、ローマ字、理科や社会の授業がなくなり、終戦間際には算数、国語と防空壕堀り、開墾して芋さしなどが学校の活動になり、教育が変わってきました。
一番世の中が変わったなと感じたのは昭和19年から20年です。山のところに海軍の校舎があり、そこで少年学徒兵として小学校から30名の生徒が3か月の軍事教練を受けました。探照灯で飛行機を照らす要員で一晩行っていました。
【千鶴さん】
当時は給食はなく弁当で、大根や、梅干しが真ん中に入っていたり、いもを持ってきたり。弁当を持って来れない子もいて、そういう子は外に出て過ごしていました。米は高級で弁当に持ってくる子はいませんでした。自分たちはお腹いっぱい食べられず、食料を供出していた時代。小さい弟妹たちを子守りがてら学校に連れてきていた子もいました。
ある日、警戒警報で学校から帰る途中、水源地の裏を歩いていたら飛行機が飛んできて、虚空蔵の砲台から撃った玉が艦載機に当たらずにバラバラ落ちてきたんです。あの玉が人間に当たったら死んでいましたね。とても恐ろしかったです。
▽長崎に原爆が落とされた時の証言
【繁義さん】
原爆が落とされたとき、私は屋根の下で夏大豆の足踏みの脱穀機で作業してた。そしたら、ダァーンって今まで聞いたことがない音がして。なんじゃったなと飛び出て、光はわからんやった。家の中におったから。そして家の上の方に牛の餌を切りに行っていたお袋が帰ってきてから「あれなんじゃったか」って聞いたら、「ありゃ長崎の方にピカァーっとしたとが、ドーンて」といって、原爆だったんですね。上から見えとったとですね。
その原爆で亡くなった同窓生が2人いました。師範学校、徴用工で長崎市内に行った人で、今の中学3年生の年になります。
【千鶴さん】
ほんと忘れんよね。友だちと帰ってきてる時に今のミユキソーイングの下のところで、ちょうど原爆の光がピカーっとしてさ。そして道の側溝に伏せたとやもん。その音のすんでから山の中に駆け込んだとやもん。恐ろしかったもんやけん、よう覚えとるよ。
▽終戦を知ったのは翌日
【繁義さん】
昭和20年ごろまでは電気もラジオもありませんでした。戦争が終わったことも知らず、竹槍をかついで青年学校へ行っていたところ、虚空蔵のところに住んでいた兵隊から「お前たち何をしに行ってるんだ、戦争は終わったんだぞ」と聞いて、それで初めて終戦を知りました。とてもびっくりして、そのあとは学校へ行かず家に帰りました。本当に負けたのかと、がたっと気が抜けたような、しばらくはそういう状態でした。
戦後は食料が不足していたので、引揚者、都会や嫁いで出ていった人たちが、子どもを連れて帰ってきました。学校には転校生がたくさん入ってきて、1学級80名ほどで教室がぎゅうぎゅう詰めでした。
▽戦争は二度と経験させたくない
【繁義さん・千鶴さん】
今まで戦争のことについて話す機会はあまりなかったです。戦争には実際には行っていないから。若い人や子どもたちに、たまには戦争で体験した話を聞かせたいと思いますが、今の子どもは忙しいですからね。
戦争は、その時代は当たり前だと思っていたし、おそらく国民の大半がそう思っていたでしょう。小さいころから学校で「お国のため」という教育を受けていたので、嫌なことなどはなかったです。
今の時代は言うことはない、天国です。日本が戦争に負けてよかったんじゃないかな。戦争はもうしないでいい。戦争は二度と経験させたくないです。若い人たちに戦争がない世の中で生きてほしいということを強く願っています。
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