漫画家、清水崑(こん)。名前を聞いたことがあるかたも多いのでは?彼が描いた漫画は何作もヒットし、アニメ化・映画化されています。かっぱが龍踊りをして、くんちを楽しむ絵があったり…精霊流しをしている絵もあったり…。
今回の特集では、清水崑の活躍や、彼の描いたかっぱについて、清水崑を研究している学芸員のインタビューなどを紹介します。
■ルーツは似顔絵から
高校生の頃から似顔絵が得意だった清水崑。上京後に困窮した時も似顔絵で生計を立て、プロになってからは当時の著名人を多く描いています。
また、清水崑は戦後の政治漫画を代表する漫画家でもあります。評論家の小林秀雄の後押しで政治漫画の世界に入り、昭和22年に朝日新聞社の嘱託員として政治漫画を描くようになりました。清水崑の政治漫画は、鋭い風刺ではなく、政治家の人柄や政治事件を楽しく、分かりやすく読者に伝えていて、とても人気だったようです。
昭和26年には、朝日新聞社の特派員として、サンフランシスコ講和条約を取材するためにアメリカに渡っています。彼が会議の様子を現場でスケッチした原画が、清水崑展示館に収蔵されています。
■「かわいいかっぱ」の生みの親⁉
清水崑の代表作といえば、かっぱ漫画。子ども向けの「かっぱ川太郎」や大人向けの「かっぱ天国」が大ヒットしました。
清水崑が描く以前のかっぱは、人や牛馬を水中に引き込んで殺すなど恐ろしい怪物だというイメージが強く、怖い妖怪と思われていました。
対して清水崑が描いたのは、かわいい見た目のおちゃめでドジなかっぱたちです。愛らしい姿のかっぱが相撲を取ったりお茶漬けをかき込んだりと、人間のような生活を送ります。かっぱが親しみやすい存在になったことで全国で「かっぱブーム」が巻き起こりました。彼が描くかっぱの登場以降は、人間のような性格を持つかわいい見た目のかっぱが多く見られるようになり、現代のアニメなどに出てくるかっぱのキャラクターにも引き継がれています。
■長崎の文化が大好き
清水崑は、故郷への愛情も強く、全国的に活躍してからも、たびたび雑誌で長崎のことを語っています。
晩年盛んに個展を実施していた清水崑は、昭和46年から47年にかけて長崎で「長崎のくんちを遊ぶかっぱ展」、「長崎の春夏を遊ぶかっぱ展」、「ふたたびくんちを遊ぶかっぱ展」の3回の個展を開催。この時、大好きだった長崎とかっぱを題材にした作品が多く描かれています。「長崎の春夏を遊ぶかっぱ展」には、彼が「狐こりあん狸庵閑話」の挿絵を担当していた縁で、遠藤周作も足を運んでいます。遠藤周作は清水崑のかっぱに「母なるものというイメージを持っている」と述べています。なお、この時の個展の話が「狐狸庵閑話」の最終話となっています。
さらに、東濵町が現在、長崎くんちで奉納している「竜宮船」のデザインも清水崑が行いました。今も東濵町自治会には彼のデザインスケッチと制作の際の書類が残っています。長崎くんちの歴史に残る大きな出来事であり、長崎の年中行事を愛した清水にとって大仕事でしたが、くんちの半年前に急逝し、本番を見ることは叶いませんでした。
■清水崑プロフィール
本名:清水幸雄
出生地:長崎市銭座町(現在の天神町)
生年月日:1912年9月22日
没年月日:1974年3月27日
〜この写真のエピソード〜
清水と「サザエさん」の作者である長谷川町子が、声を出さず漫画で対談する朝日新聞の企画に参加した際の写真です。2人は同時期に朝日新聞に漫画を描いていました。
※詳しくは本紙をご覧ください。
■彼の研究をしている学芸員の入江さんに話を聞きました。
長崎学研究所学芸員 入江 清佳(さやか)さん
「推しは清水崑!」
▽幅広いスキルを持っていた清水崑
清水崑は漫画の執筆のほかに、小説の装丁や挿絵、テレビや映画、舞台の背景美術など幅広い仕事をこなしていました。また、文化人との交友関係も深く、川端康成は清水の画風を「あいたいとして広濶(こうかつ)、温暖にして爽涼、無礙(むげ)にして新鮮(雲や霞がたなびく様にはっきりしないようで広々とひらけているようでもある。温かいようでさわやかな涼しさもある。とらわれるものなく自由であり生き生きとしている。)」と評しています。このように、清水は仕事の内容や交友関係が独特で、昭和の文化史や政治史、長崎学を通して考えると興味深い部分が多くあります。
市では漫画原画などのデジタル化を進めたり、調査研究を行ったりと、貴重な資料と業績を後世に伝える取り組みをしています。これから市の宝として、活用していきたいです。現在、マンガの研究が全国的に進んでいるので、清水が残した作品にもっと注目が集まって欲しいですね。
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