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■原爆資料館の正面にある木が被爆樹木だと知りました。山王神社のクスノキ以外にもあったとは知りませんでした。(さくらの里1丁目・20代のかた)
▽クスノキ以外にも市内にはツツジやマツなどの「被爆樹木」があります。
被爆樹木は原爆の爆風や熱線に耐え、現在まで生きながらえた樹木です。原爆資料館の淀川ツツジや五葉松もその1つで、他にも柿の木やソテツなど市内に50本の被爆樹木があります。
市では、これらを被爆の惨状を後世に伝える貴重な資料として、毎年樹木医による診断を行い、状態に応じた保存整備に取り組んでいます。市はこの活動の推進のため、「クスノキ基金」を設置していて、市役所1階や原爆資料館の募金箱、ふるさと納税などから寄附できます。
詳しくは、右の二次元コードから「長崎クスノキプロジェクト」のホームページをご覧ください。
また、被爆クスノキの種から育てた2世の苗木を、庁舎移転に合わせて令和5年に市役所の正面に植樹しました。被爆地として平和への思いを発信しています。
◆「模擬原爆」と被爆クスノキ2世
昭和20年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされました。その約3週間前の7月20日から日本全国に49発の模擬原爆が投下されたことはあまり知られていません。
模擬原爆は、形、大きさ、重さとも長崎に投下された原子爆弾(ファットマン)に似せて作られた爆弾です。橙黄色に塗装されていたことから、「パンプキン爆弾」とも呼ばれています。
投下の目的は、投下から爆発までの弾道や爆発の効果を測定するため、攻撃部隊が原子爆弾の投下後に爆発に巻き込まれないように練習するため、などと言われています。
模擬原爆の投下は8月9日以降も行われ、14日に愛知県の陸軍施設や自動車工場などに7発が投下され、終戦を迎えたのでした。
模擬原爆には核物質は使われていませんでしたが、この「予行練習」により、少なくとも1,700人以上の死傷者が出たとされています。
福島市渡利(わたり)地区では模擬原爆により14歳の少年が亡くなりました。近くの瑞龍寺には、このときの模擬原爆の破片が保管されています。瑞龍寺には長崎市から福島市へ贈られた山王神社の被爆クスノキの2世が植樹されています。
参考
「原爆投下部隊 第509混成群団と原爆・パンプキン」
工藤洋三・金子力/著
※詳しくは本紙をご覧ください。
問合せ:
被爆継承課【電話】844-3913
庁舎管理課【電話】829-1411
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