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[特集]長崎から、広げる。ー核兵器廃絶へのアクションー(1)

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長崎県長崎市

■核兵器の脅威に終止符を
ウクライナ情勢や中東情勢など、緊迫する国際情勢の中で、核兵器への依存を強める動きが加速し、核軍拡競争が進んでいます。
79年前の8月9日、一発の原子爆弾により、長崎のまちは焼野原と化し、同年12月末までに7万4千人もの尊い命が犠牲になりました。辛うじて生き延びた人たちは心と体に深い傷を負い、今もなお放射線の後障害に苦しんでいます。
被爆者は「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせてはならない」と自らの体験を伝え、核兵器廃絶を訴えてきましたが、「被爆者のいる時代の終わり」そして「被爆者のいない時代の始まり」が刻一刻と近づいています。
長崎はこれからも最後の被爆地であり続けることができるのでしょうか。
今回の特集では、被爆者に自身の体験や願い、一人ひとりができることをお聞きしました。そして、核兵器廃絶をさまざまな手段で訴え続けている若者の取り組みを紹介します。

◆世界的に増加傾向にある核弾頭
現在、地球上に存在する核弾頭※の総数は1万2,120発です。これは昨年より400発少なくなっています。1987年のピーク時は7万発近くが存在しましたが、アメリカとロシアの条約によって大幅に減少しました。しかし、一方で実質的な核軍拡は進んでいます。「現役核弾頭」の数(下図)は2018年以降、明らかな増加傾向にあります。
※核弾頭:核兵器の核爆発を起こす部分。一般的には核弾頭とそれを搭載するミサイルなどを組み合わせたものを核兵器と呼ぶ。


出典:RECNA(2024年)世界の核弾頭データ

■ここにしかない被爆者の声
全国の被爆者は現在10万6,825人、平均年齢は85歳を超えました。
年々減少していて、被爆者の声をどう後世に伝えていくかが課題となっています。
今回は被爆者に自身の体験を踏まえた核兵器廃絶に対する思いをお聞きしました。

◆山田一美(かずみ)さん(90)
現在、小中学生や修学旅行生のもとへ出向いて原爆や自身の体験について話す活動をしている。2017年にはドイツを訪れ、現地の学生に被爆体験講話を実施。「今年で91歳。身体がきついときもあるが、可能な限り活動を続け、声を届けたい」と語る。

▽一瞬で世界が変わった
私は当時、爆心地から2.3kmの昭和町にいましたが、偶然大きな岩陰にいたため、怪我はありませんでした。しかし、熱線の熱さに耐えた後、顔を上げると世界は一変していました。燃えさかる家、泣き叫ぶ子供たち、道を狂い回る牛。着ていたシャツに火が付き、燃えだしている人たち。私はパニックになり、頭の中は真っ白で何も考えられず、ただひたすら逃げ惑うだけでした。「坊や、このかたきは絶対討ってくれよ」と私に叫んで通り過ぎた人の目玉が飛び出していたのは、今でも忘れられません。
私は多くの偶然に恵まれて生き延びた存在です。原爆で亡くなった友人たちから「お前は生き残って原爆の体験を伝えろ」と言われている気がします。生き残った者として、平和の大切さを伝える使命を日々感じています。

▽もう二度と核兵器は使わないで
現在の世界情勢は戦争前の日本と驚くほど似ていて、戦争が再び始まるのではないかという危機感があります。「戦争放棄、核兵器廃絶」のメッセージを引き続き届けたいです。
私にとって戦争がないだけで平和です。戦時中は我慢の連続で思い通りの生活をすることができませんでした。今の時代は、思うことを自由に表現することも、夢を追いかけることもできる。何をしてもよく、何を言っても良い、そんな現代の子供たちは恵まれていてうらやましく思います。
みんな一人ひとりに特徴があって長所があると思います。自分にしかできないことに、核兵器廃絶の思いを持って取り組んでほしいです。

◆被爆の実相にふれるなら
▽原爆資料館
8月9日の爆心地の様子を鮮明に描いている絵巻「崎陽(きよう)のあらし」。タッチパネルで閲覧できます。

▽追悼平和祈念館
被爆者直筆の手記をまとめた「被爆体験記集」。当時の状況を詳しく知ることができます。

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