■収穫の秋『石包丁』
夏の太陽光を浴びて育った稲もたわわに実り、稲刈り真っ只中。わたしたちの祖先はどのように稲を収穫していたのでしょうか。
水田で稲の栽培が広がっていった弥生時代。遺跡からは、『石包丁』という道具が発見され、稲などの穀物の穂を摘む『穂摘み具』として使われていたことが分かっています。包丁のように、肉などを切った痕跡は確認されていないため、調理道具ではなかったようです。北方ネイティブ・アメリカンが用いる調理用ナイフに形が似ていることから、この名前が付けられたとされています。
市内では、佃遺跡(つくだいせき)(国見町)や伊古遺跡(いこいせき)、陣ノ内遺跡(じんのうちいせき)(瑞穂町)の調査で発見されました。手のひらサイズで、上部にある2つの穴にヒモを通し、指に掛けて使っていたようです。表面は丁寧に磨かれ、刃の部分は研がれています。石を割り、形を整え、磨くといった工程を繰り返し、1つ作るのも大変だったことでしょう。
天候は作物にとって大きな影響を及ぼします。市内の神社でも、この時期になると、無事に収穫できたことを祝う祭りが古くから続いており、その背景には、自然の恵みに対する感謝の気持ちが感じられます。
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