■天神山古墳
県道207号(美篶箕輪線)の馬場(ばんば)バス停から西に100mほどの地点に白い標柱があります。ここを南に入り、天神山西麓の山道を辿ると、間もなく右手に背の高い木立が目に入ります。この桜や桧の巨木に囲まれた中央に「古墳」と刻まれた石碑と、その両脇に2基の供養塔が西に建っています。
案内板には「明治23年村人が石棺の蓋や小石を道路工事に使用するため破壊したのをきっかけに発掘されたこと。その後大正10年、昭和27年と調査のため再発掘され時代が特定されたこと」などが記されています。また、令和2年度に発刊された「笠原の生活と歴史」では概ね次のように説明されています。「6世紀前半古墳時代後期の円墳である。直径約20m高さ2mで横穴式石室の中には3基の石棺が並べられていた。遺骨や直刀、金環、メノウの勾玉、土師器などの副葬品が収められていた。それらの一部は近くの吉祥寺に保管されていたが平成10年伊那市に寄贈されて、創造館に収蔵展示されている」。
笠原区では明治33年以降現在まで欠くことなく5月八十八夜に「塚祭」として供養しているそうです。春は桜の花を愛でるように、夏は暑さを凌げるようにと植えられた樹木からも大切に祀られている古墳だと感じます。
隣の畑の下には平成9・10年に発掘調査された、約2ヘクタールの室町時代の城館跡である富岡遺跡も眠っています。この地域は縄文時代から江戸時代まで、先人の生活の拠点があったと推測されます。松枯れ対策で樹種変換がされた今日の天神山の姿を見ながら訪ねてみてください。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>