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想いを石に刻む〜高遠石工の歩いた道〜

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長野県伊那市

■Vol.34「市内の貞治仏探訪(10)」
市内の貞治仏(さだじぶつ)探訪も10回目を迎えました。『石仏菩薩細工』に記載された市内の貞治仏の納品先は残すところ桂泉院のみとなりました。桂泉院は伊那市高遠町東高遠にある曹洞宗の寺院です。山号は龍澤山といいます。戦国時代に高遠城内にあった法幢院を高遠の三名水の1つ「桂の井」がある場所に移して開かれたという由緒があり、法幢院時代の歴史に関係のある武田信虎(信玄の父)の供養墓や仁科五郎信盛(盛信)ら高遠城の戦いに散った諸氏の位牌殿があることで知られています。また、剣術の達人塚原卜伝を顕彰する石塔や伊澤修二の父母の墓、守屋貞治や渋谷藤兵衛らの石仏もあり、見どころが多い寺院です。
さて、桂泉院の貞治仏は『石仏菩薩細工』(左上の写真)に3体記載されています。聖観世音菩薩、准胝観世音菩薩、延命地蔵大菩薩の3体です。このうち、聖観世音菩薩は寺院の裏山の墓地内にあり、知らずにいる方が多いかもしれませんので、今回はこの観音様を紹介します。
この聖観世音菩薩は小顔で目鼻口の位置が近く、子どものような顔つきに見えるのが特徴です。晩年(1820年代後半)になると面長の作品が多くなっていきますが、これは実門和尚の仏画や渋谷藤兵衛の表現技法の影響を受けたからなのかもしれません。眉は上方向にきれいな放物線を描く形ではなく、人の眉に近い形になっています。蓮華座は祖父貞七らの作品に見られる花弁の反り返り表現を用いています。石材は青石が用いられ、細かな表現も磨滅せず、きれいに残っています。一度倒れたのか、光背の最上部・右側と鼻の頭が欠けてしまっているほか、土や苔によって肌色に変色してしまった部分があります。より美しい姿を皆さんに見ていただくためにお身拭いをしたいものです。

問合せ:高遠町歴史博物館

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