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伊那市長のたき火通信

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長野県伊那市

■会津・猪苗代町との縁
父が消防団の幹部だった頃、小学校に上がる前の私は消防団の旅行について行ったことがありました。旅先は会津地方でした。
私がまだ5歳くらいの頃でしたから記憶は断片的です。覚えているのは、磐梯山を映す猪苗代湖の不思議な色とそこにおよぐ魚のこと、蒸気機関車がトンネルに入るときに窓を開けて顔を出していたら、煤で真っ黒になって乗客から笑われたこと、当時から背の高かった私は、改札でその都度小学生と間違われて、「僕は何年生ですか?」と駅員に確認されたこと。くらいしか覚えていません。
高遠藩主保科正之公は寛永13年(1636年)出羽国山形藩へ、そして寛永20年(1643年)に会津藩に転封しました。友好親善都市の猪苗代町には、保科正之公の霊廟があります。寛文12年(1672年)に没した保科公は、土津神社の奥の院に「保科正之公墳墓」として祀られています。玉石の敷かれた杉木立の奥の院参道を進むと門扉があり、その奥に保科公が眠る墓所があります。そして、保科公の縁で結ばれた猪苗代町との友好は、今年で20周年を迎えます。
猪苗代町との縁は、会津磐梯山の噴火ともつながります。明治21年(1888年)の大噴火によって、麓には檜原湖(ひばらこ)、五色沼(ごしきぬま)など100を超す大小の湖ができました。火山灰や溶岩などで埋め尽くされた荒地の復活に尽力したのが、高遠出身の中村弥六です。弥六は日本最初の林学博士であり、荒涼とした不毛の原野にアカマツ13万本を植林する技術指導をしたと言われます。今でも裏磐梯には「弥六沼」として名前が残っています。
そしてもう一つの繋がりです。猪苗代湖の水は、本来は阿賀野川(あがのがわ)から日本海に流れていますが、猪苗代湖から安積原野に水を引いたのが「安積疎水」です。これにより原野は肥沃の地に生まれ変わり、その水は阿武隈川を経て太平洋に流れています。日本に二か所しかない「大分水界」を越えた水は、伊那の「木曽山用水」と猪苗代の「安積疎水」だけです。
私が65年ほど昔に訪れた会津・猪苗代。今では保科公の縁で400年近くの時を経ても友好の歴史を紡いで深くつながっています。これからも多くの市民の皆さんの交流を願っています。

伊那市長 白鳥考

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