平成4年、飯山城跡の西端部に飯山市弓道場の建設が行われることに伴い、初めて飯山城跡発掘調査が行われました。古絵図や古文書によると、弓道場建設予定地は近世には南中門(みなみなかもん)、番所(ばんしょ)、駕籠(かご)部屋が描かれている場所です。当初は明治以降の開墾や解体などによって城の遺構はほとんど残されていないと考えられましたが、調査の結果、絵図等と規模や配置がほぼ一致する建物の遺構が発見されました。
南中門は南大手門から帯曲輪(おびくるわ)を登って2番目にくぐる門で、調査では栗石(くりいし)や雨落ち跡が確認されました。間口5間、奥行2間半、下坪約30坪の建物で、古文書の記述と同規模でした。現在は盛土で保存した上に礎石を復元展示しています。南中門の左手に付随して建てられた番所跡は、約20坪の建物であることが分かり、これも古文書とほぼ同様の規模でした。南中門をくぐり広い空間を隔てて正面に駕籠部屋があります。発見された栗石から推定すると、間口6間、奥行2間で細長い建物であることが分かりました。
発掘調査では城内で使用された暮らしの品々が発見されました。その多くは近世後期の18~19世紀に位置づけられるもので、日常食器である茶碗、皿をはじめ土鍋やすり鉢、徳利(とっくり)や盃などが発見されました。このほか天保通宝などの銭貨や鎌、砥石(といし)などもあります。変わったものでは鳩笛(子ども向けの玩具)が見つかっています。
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