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《シリーズ》飯山城下町を歩く

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長野県飯山市

弘化4年(1847)3月24日夜10時、善光寺地震が発生しました。長野市浅川清水付近を震源地としたマグニチュード7・4と推定される大地震で、被害地域は長野市、飯山市など北信地域を中心に東信、中信地域にも及んだとされます。飯山市域での死者数はおよそ800人、倒壊・焼失した家屋は1800軒余りにのぼる甚大な被害をもたらしました。
飯山藩は飯山城大手門前で施粥(せがゆ)をしたり、食糧確保と物価安定のため穀留めなどの救済策をとりました。また、倒壊家屋の復旧に向けて木材や縄などの移出禁止令を出して資材の確保や人手の確保に努めました。さまざまな施策が行われるなか復興への道のりは長いものでした。
この地震の歴史を伝える多くの文化財が残されています。市内各所に建立された、犠牲になった人馬を供養するための石造物は災害の大きさを伝えてくれます。また復興に関する資料として、小菅神社に奉納された額絵があります。大打撃を受けた飯山城下の家屋等の修復に必要な資材不足に困窮していた飯山藩に対し、小菅山別当の英真法印(ほういん)から城下再建のため、数百本の杉が献上されました。この御礼に藩士たちが奉納したものです。災害時の共助を伺い知ることができる資料の一つです。

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