地域プロジェクトマネージャー
周布 祐馬
こんにちは、地域プロジェクトマネージャーの『ぷーま』こと周布祐馬です。
僕が今別町の地域プロジェクトマネージャーに着任したのは2022年7月、早いものでもう丸2年がすぎました。3年目も全力で駆け抜けたいと思いますのでよろしくお願いします!
■津軽線、無くなっちゃいます
さて報道にもあった通り、先日今別町も津軽線蟹田〜三廏間の廃線に向けた協議を開始することに同意。これで外ヶ浜・今別両町が同意したこととなり、同区間の廃線がほぼ確実なものとなりました。
このニュースについて町内からは「病院どうしよう…」「無くなっても困らないけど寂しいね」など様々な声が聞こえてきます。
僕はというと、僕と今別との関わりは20年前、津軽線から始まりました。荒馬を習いにやってきて初めて大川平の駅で降り、大川平の会館まで歩いていく道中のあのワクワクは決して忘れることはできない大切な思い出です。津軽線がなければ僕はここにいなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。僕にとって津軽線の廃線は大切な思い出が1つ無くなってしまうことと同じ。残念を通り越して悲しい出来事でした。みなさんにも津軽線が関わる思い出があるのではないでしょうか。
■まだまだ活かせる津軽線
でも、いつまでもメソメソしているわけにはいきません!
今別・外ヶ浜の車を持たない人々や、観光客の足を確保しなければなりません。
僕は着任当初よりこの地域を「住みたいまち」「住み続けられるまち」となるよう行動すると発表しています。津軽線廃線を受けた自動車交通の整備はまさに「住み続けられるまち」づくりに直結します。車を持つ人でも利用したくなる「シン・津軽線」となるにはどうすれば良いのか、人の移動手段だけではない交通の新しい価値について僕も考えていきたいと思います。
一方「住みたいまち」づくりについて、「シン・津軽線」を活かす事はできないのでしょうか?僕はこちらについても「シン・津軽線」が活躍してくれるものと考えています。それは廃線跡の活用です。近年、古いものやいらなくなったものの価値が見直されています。昔から「捨てればゴミ、活かせば資源」という言葉もあるように、資源となりうる廃線跡をそのまま捨ててしまってはもったいない!僕は津軽線の線路や駅舎などを「住みたいまち」につながる資源として生まれ変わらせる方法を考えたいと思っています。
活用例を2つほど挙げたいと思います。1つ目は駅舎を使って津軽線の記憶を後世に伝える記念館を作る事です。僕はこれまで何回か開催されてきた廃線の話し合いの中で、津軽線を通すために様々な人が多大な労力と熱意を持って行動されてきたことを知りました。こういった人たちがいたことを、後世の人々にも伝えられないものかと考えています。
2つ目は、鉄路を使って大人も子どもも楽しみながら移動できるレールバイクです。これは線路の上を自転車で走るようなもので、他地域の廃線跡でも運営されているのを見かけます。津軽線の今別の区間は、田園の中を一直線に貫いたり、海のすぐ横を通ったり風光明媚な路線として知られています。これらは廃線になっても無くなる事はありません。今別の季節の移ろいや美しい風景を訪れた人に伝える最高の手段になると思います。
このように、津軽線は公共交通としての機能は無くなってしまっても、考え方次第で人々を役に立つ資源として生まれ変わる事は十分可能だと僕は考えています。
みなさん、いかがでしょうか。津軽線をどう生まれ変わらせるか、これから一緒に考えてみませんか?「リボーン津軽線」です!
来月の後編では、今回の内容をどのように実現するかについて、僕のイメージする町の将来像も含めてお伝えしたいと思います。どうぞお楽しみに!
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