町内会の特徴や活動を紹介します。
■山口町内会(世帯数141世帯)
山口村の歴史は古く、1546年頃作成された『津軽郡中名字』の中にも記述があります。
奥州街道筋の村であり、高森山参詣の入口であったため、当初から人の出入りが多く、1889年(明治22)の町村制施行以来、西平内村の中心的役割を果たし、村役場、学校、巡査駐在所、郵便局、営林署担当区、その他産業団体などが設置され、年々戸数、人口が増加しました。旧西平内村内では「元村」と呼ばれていました。(出典:平内町史)
◇Topic! 西平内村と三井報恩会
昭和初期、西平内村は度重なる凶作と政争により、生活に困窮し、「日本一の悪村」と呼ばれていた。しかし、昭和10年、社会事業財団「三井報恩会」が実施したモデル農村事業の「特定振興村」に指定され、資金援助や産業、文化、経済更生、精神教育など多大な支援を受け、「日本一の良村」に変わったといわれている。
◇町内会の事業
・伝統行事を次の世代へ伝えたい
山口町内会では、青年団のOBで組織された山口有志会をはじめ、農地保全会、自主防災班、消防山口分団、交通・防犯支部、子供会など各団体と連携し、防災訓練や地域環境の美化、子どもや高齢者の見守り活動に取り組んでいます。
令和5年度は、町の集落支援事業補助金を活用し、地域の伝統行事の継承として、「高森山お山参詣」関連事業に注力しました。
7月16日(日)には、山口コミュニティセンターで「御幣(ごへい)制作」が行われ、地域の子どもから高齢者まで26人が参加し、各家庭に配られる御幣を200本制作しました。千代谷環那さん(山口小3年)は「御幣を作ったのは初めてだったけど、コツをつかんだら、紙を上手に折れた。お山参詣も参加したい」と話しました。
「高森山お山参詣」は、例年8月15日に行われ、午前9時に山崎神社で道中の安全を祈願したあと、高森山へ移動します。登山口近くのオバ石に、家内安全、合格祈願、無病息災などの願いごとが書き込まれた御幣を奉納し、山頂を目指して出発します。
20年ほど前までは、そろいの半纏を着て、太鼓や笛、手平鉦で登山ばやしを演奏しながら賑やかに登っていましたが、現在は担い手不足により、録音した音源を流して実施しています。
今年は天候に恵まれず、雨風が吹きすさぶ中での登山となったため、高齢者は安全を期してふもとで待機となりましたが、前出の千代谷環那さんを含む20人ほどが急斜面をロープにつかまりながら登りきり、山頂の祠で祈りを捧げました。
集落支援事業に関するお問い合わせは役場 企画政策課 企画政策係(【電話】718-1325)まで
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