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文化財通信 その221

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静岡県伊豆の国市

皆さんの家の台所に「すり鉢」はありますか?最近は、フードプロセッサーを使ったり、すりごまを買うなど、すり鉢の出番は少ないかもしれません。
すり鉢は、今から約500年前の中世後期に日本各地の窯で生産され、全国に普及しました。それまで食材を混ぜる時は、すり目のない「こね鉢」という鉢を使っていましたが、「する」と「混ぜる」を一度にできるすり鉢は、大変便利な調理具であり、当時の台所には必ず常備されていたようです。そのため、中世後期以降の遺跡からは、大量のすり鉢が出土します。
小麦・米・そば・大豆を粉にして、麺や団子の形で食べる、日本の粉食文化は中世に大きく発展しました。それを可能にしたのがすり鉢です。日本人の麺好きは有名ですが、そのはじまりは中世までさかのぼります。また、魚をすり身にして、私たちになじみのある黒はんぺんのような加工品を作っていたかもしれません。
では、昔と今のすり鉢を比べてみましょう。写真1は、韮山城跡から出土したすり鉢の破片です。底が小さく口が大きく開いた形は、今のすり鉢(写真2)と変わりません。縁を厚めに作り、持ちやすく丈夫にしている点も同じです。違う点はすり目です。中世のすり鉢は、内側のすり目の間隔が空いていることが特徴です。今のすり鉢はすり目が内側全体に付いています。
また、出土したすり鉢を見ると、すり目が摩耗し、釉薬も剥がれているものが多数あります。完全な形で出土することが少ないことからも、かなり使い込んで、最後は割れて、捨てていたのでしょう。遺跡から出土する大量のすり鉢の破片を見ると、朝夕の食事の支度をする中世人の様子が目に浮かぶようです。
昔から変わらない形、変わらず使い続けられている調理具の一つ、それがすり鉢です。

市役所長岡庁舎1階ロビーにて、文化財通信で紹介した資料の一部を展示しています。ぜひご覧下さい。

問合せ:文化財課
【電話】055-948-1428

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