私たちが暮らす藤枝市が誕生して今年で70年。
これまでの主な出来事を年表と写真、市の発展を支えた皆さんからのメッセージとともに振り返ります。
■1954(昭和29年)
山口森三市長
◆藤枝市のはじまり
日本が高度経済成長に向けて歩み始めた昭和29年、藤枝町・青島町・葉梨村・高洲村・大洲村・稲葉村の※2町4村が合併し、「藤枝市」が誕生。本市の歴史はここから始まりました。
※西益津村は昭和29年1月に藤枝町と合併
・昭和29年3月31日、藤枝市誕生
・静岡国体サッカー競技で高校・一般ともに藤枝勢が優勝
・市内に国道1号が開通
○市章をデザイン
山田喜代司さん
(株)コンツナ取締役会長
藤枝市が誕生した昭和29年、高校3年生の時に「市の紋章」を募集する新聞記事を読み、応募しました。当時、分度器とコンパスを使い、試行錯誤し考えました。デザインは外側に6枚の藤の花弁を配置し、中心の輪で丸く結びました。合併した2町4村が「和」によって結ばれ、発展するよう願いを込めています。
あれから70年、各地区が協力して発展していく様子を見ていると、当時込めた願いが実現したような気がして、一層嬉しく感じます。
■1974(昭和49年)
◆志太地域のけん引役へ
高校サッカーでは藤枝東高校が圧倒的な強さを全国に示し、市内には商工業と経済を支える商工会議所が設立されるなど、本市は志太地域の中でさらに存在感を増していきました。
・市内全小・中学校で完全給食化
・静岡鉄道駿遠線(軽便鉄道)が全線廃止
・藤枝東高校が高校サッカー三冠達成
・市庁舎が岡出山に移転
○地域産業の活性化に尽力
山田壽久(としひさ)さん
藤枝商工会議所会頭
市制施行70周年・サッカーのまち100周年を迎え、発展する藤枝市を地域の経済団体としてとても誇りに思っています。
振り返りますと、木工や製茶などの伝統産業が主体だった地域に、食品加工業や機械工業といった企業の立地が進み、駅周辺をはじめとするまちづくりによって商業やサービス業も集積し、志太榛原地域の中核都市として活力を増していることを日ごとに感じています。
今後も自己変革と新たな挑戦に取り組む企業経営を支え、藤枝市と地域の産業がさらに躍進することを願っています。
■1975(昭和50年)
飯塚正二市長
◆10万人都市への成長
昭和53年、本市は県内で8番目に10万人都市の仲間入りを果たしました。この時期は藤枝バイパスの開通や友好都市提携など、広域に結びつきを強めた時期でした。
・市民憲章・市歌を制定
・藤枝バイパスが開通
・石川県松任(まっとう)市(現・白山市)と親善友好都市提携
・オーストラリア・ペンリス市と姉妹都市提携
○努力で掴んだ茶の産地賞
勝治義男さん
(株)市之瀬の里代表取締役
昭和50年代の始めは、ちょうど在来種のお茶からやぶきた茶へ生産の転換を進めている時期でした。
各地区がそれぞれの努力で生産したお茶がさまざまな賞の受賞につながった結果、市全体も産地賞に輝き、とても嬉しかったです。
現在は市之瀬地区にティーテラスができ、国内外から観光客が訪れるなど、当時からは考えられないようなお茶と人との関わりが生まれていることを感じます。
これから先の未来も、その時々で形を変えながら、このまちとここで生きる人たちのそばに藤枝茶がある風景が長く続いてほしいと思います。
■1994(平成6年)
◆藤の里を全国に発信
平成3年から、フジをモチーフにしたマンホールやモニュメントなどを設置し、景観づくりに着手しました。この取り組みは、市内外へ「藤の里ふじえだ」を強く印象付けました。
・郷土博物館が開館
・保健センターが完成
・スポーツイベントが続々開催
○満開のフジでおもてなし
杉山公朗(きみあき)さん
藤育会会長
藤育会は平成6年に発足し、これまで蓮華寺池公園内の「フジの庭園(旧・藤の里広場)」や、公園などに植えられた藤棚の育成に携わってきました。現在もおもてなしの心をもってフジの手入れを行っています。
次回の藤まつりでも皆さんに華やかな思い出を残せるように、丁寧な手入れを行っています。市の象徴として美しく咲いたフジの花を楽しみに、市に訪れる人たちがますます増えていき、市全体が賑わい、さらに活性化してくれたら嬉しいです。
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