■輝き続ける「世界の宝石」
明治から昭和初期にかけて、瀬戸内海を訪れた国内外の著名人は、美しい景観をさまざまな言葉で表現しています。5千円札の肖像にもなった新渡戸稲造が、「世界の宝石」と表現し、シルクロードの命名者で知られる地質学者のフェルディナント・フォン・リヒトホーフェンは、「個々の山脈の姿態はまるで絵に描いたようである」と、自身の旅行記で世界中に紹介しています。
国内外から高く評価されるようになった瀬戸内海は、雲仙や霧島とともに、日本初の国立公園に指定されました。当時の指定区域は香川県の小豆島や屋島、岡山県の鷲羽山、広島県の鞆の浦など、備讃瀬戸と呼ばれるエリアでしたが、現在は1府10県の広範囲に及び、日本最大の国立公園となっています。
国立公園指定から90年経った今も輝きを放つ瀬戸内海。美しい自然と人の営みが一体となった景観に、温暖な気候、ゆっくりと流れる時間。その魅力に心を奪われ、中には生活の拠点を島に移す人も。そんな「瀬戸内LOVE」な人たちに、瀬戸内海の魅力を聞きました。
■「瀬戸内L♥VE」の魔法にかけられて
米国人映画監督のアルドさん 来年夏に香川移住
◎アルド・シュワルツさん(Aldo Schwartz)
皆さん、こんにちは!私はアメリカで映画監督、作家、アーティストの仕事をしています。
私が初めて瀬戸内海を訪れたのは11歳の時です。アメリカ人の父が、香川県で暮らしていたアヤさんと結婚したのをきっかけに、たびたび来日するようになりました。香川で彼女と過ごした夏は魔法のようで、瀬戸内の人々と風景に対する生涯にわたる愛情を植え付けられました。
東京などの大都市も観光しましたが、どこか「忙しさ」を感じることがありました。一方で、香川では穏やかな自然、ゆっくりと流れる時間に驚きました。「どんな冒険が始まるのか」とワクワクしていたのを覚えています。猫やウサギでいっぱいの島、ミカンの木で覆われた畑など、島々を巡った思い出は一生の宝物です。
香川は、今や芸術と文化の中心地へと変貌しました。多くの美術館が設立され、3年に一度の芸術祭が開催されています。世界中から多くの若いクリエイターが巡礼し、ここで生活を築くことを決意する人もいます。私もアーティストとして、アイデアを探求するには最適な場所だと思います。
私のお気に入りの場所の一つは直島。本村港の小さなカフェで、内海を眺め、本を読みながら過ごす穏やかな午後のひとときは、至福の時間です。
2025年には香川県に移住する予定で、移住後は住民と協力してドキュメンタリー映画の製作者集団(半数は日本、半数は米国)を招待し、「水の文化」に焦点を当てた映画祭を設立したいと考えています。
瀬戸内海は、他にはないユニークな体験ができる場所です。これからどんな冒険が始まるのか、今から楽しみです。皆さん、ぜひいつかお会いしましょう!
◆オーシャンビューの宿が続々
瀬戸内海が観光地として「世界ブランド」になりつつある中、沿岸部には瀬戸内海が一望できる宿泊施設が次々とオープンしています。近年は、グランピングや一棟貸し、体験型など、滞在先の施設自体を楽しんだり、家族でゆっくりと過ごすことができるタイプが人気です。
◎県内の新規宿泊施設許可件数
県内の新規宿泊施設許可件数は、3回目の瀬戸内国際芸術祭が開催された2016年度前後から大きく増え、コロナ禍で半減したものの、23年度は79件(12月末現在)と増加傾向です。
■念願の男木島ぐらし ずっと海のそばに
パン屋経営・岡田るい子さん
横浜→東京→男木島
皆さん、こんにちは!私は2年前、念願の男木島に移住を果たしました。
私の故郷の横浜にも海はありますが、瀬戸内海は透き通っていて穏やかで、初めて見た時は感激しました。私が東京でいつもぼんやり思い描いていた景色と重なって懐かしい感じがしました。
最初は瀬戸内海の塩を作り始めたのですが、その塩でパンを作ったら皆さんに喜んでもらえるのではと考えました。特にグルテンフリー米粉のお店は全国でも少ないので、島の食材を取り入れつつ色々作ってみようと思いました。島の皆さんは私のパンに興味を持ってくれて感想もいただきました。季節の野菜や果物を分けてもらったり、ご飯会をしたり、日々楽しく過ごせることに感謝しています。昨年は特産品開発や島のプロジェクトにも参加させてもらい、グラノーラを作ったり皆で耕作放棄地を開墾したりしました。
最近は海辺まで歩いてから仕事を始めています。窓を開ければ子ども達の声や、誰かが畑仕事をしている音が聞こえます。休憩時間に畑仕事をしたり道で会った人とおしゃべりしたり。そんな日常がこの島に続くことを願っています。
◎私のお気に入りスポット
男木港に沈む夕陽は格別です。さまざまな色が層になり、とても美しいです。
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