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自治体の皆さまへ

おいしく、ひといき。~食べる、楽しむ、人いきいき。~

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鹿児島県いちき串木野市

■食のまちストーリーズ
本市で取り組んでいる「食のまちづくり」に関連する情報を紹介します。
「食」を通じて、いろんなことを楽しむ、いろんなことをやってみる。
人がいきいきと輝き、まちが元気になる。それが「いちき串木野市食のまちづくり宣言」です。いちき串木野市は、海の味、山の味、こだわりの珈琲から蔵元の焼酎まで、心がほっとするおいしいものが身近にある、豊かな食文化を誇るまちです。この食文化をおいしく、楽しく味わいながら、人がいきいきと輝くまちをみんなで育てていきましょう。

■「食卓に甘美なひと時をもたらせるもの」
8年前、初めて鹿児島に来て衝撃を受けたのは、やはり醤油の甘さです。鹿児島名物「鳥刺し」を初めて食べた時の甘い醤油の存在は「きっとこれは鳥刺し専用のタレなんだろう。甘さがとっても合うなぁ」と勘違いしており、その数日後に食べた魚のお刺身と共に出てきた、より甘く、より濃い刺身醤油を味わった時は、これが鹿児島の醤油の定番だったのかと大きな衝撃を受けました。
「何でだろう?」と、醤油が甘い理由について自分なりに調べてみました。実は明確に甘い醤油が鹿児島に広まっていったのは、物資が豊かになり始めた昭和30年頃のようで、ある男性が、醤油にどっさり砂糖を入れて魚の煮物に味付けをする奥さんの姿を見て「それなら、はじめから甘口の醤油だったらどうだろう?」とひらめき、つくり始めたというのが一説。

今では鹿児島の味としてすっかり定着していますが「鹿児島の甘い醤油文化」は今から約70年前と意外と最近の出来事だということにはびっくりしました。そういえば鹿児島の食べ物は醤油だけではなく甘みが強いものが多い。これは更に調べる必要性を感じてきました。
鹿児島の味付けが甘い理由を調べてみると、
・暖かい気候から甘辛い料理が好まれるから
・辛口のお酒である焼酎には甘い料理が合うから
・薩摩藩の時代から奄美を中心に砂糖の一大生産地であったものの、庶民は口にできなかったという甘いものへの渇望感があったから
・そこからくる「甘いものは贅沢なものだから客人へのおもてなし」という考え方など、諸説がありました。

そんな中、鹿児島の人たちが古くから甘いものを好んで食べていたという証拠らしきものを見つけました。
江戸時代後期、江戸から薩摩へきた人が執筆したとされる〈薩摩風土記〉という書物に、こんな一節があります。
「そはは至りてよし。さるに入て出す、したじあまし、江戸者にはくいにくし(ざるに入って出てきたそば自体は美味しかったが、つゆが甘くて江戸者の口には合わなかった)」また「此の国のもの、何を煮ても甘し」という記述もあり、少なくとも江戸~幕末の頃には鹿児島に甘い食文化があったことが記録として残っています。
もともと甘いものを好む食文化が鹿児島の風土としてあったから、甘い醤油もすんなりと受け入れられ、あっという間に鹿児島の食文化と言われるまでに浸透したことが推察できそうです。

県内各地で地域の大事な食文化を育んできた醤油屋さんは、その鹿児島独特の「甘味」を使って各製造元のオリジナリティを発揮しています。いちき串木野市にも現在、醤油屋さんが2社あり、各家庭によって“推し”の醤油があるところも「食のまち」らしい一面ではないでしょうか?
まだ体験したことのない人には是非この甘い醤油を味わってほしいですね。

いちき串木野市のおいしい情報、コラムの続きはコチラからご覧いただけます。
【HP】https://note.com/oishiku_hitoiki

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