■長沢鼎 Vol.4「カリフォルニアでワイナリーを興す」
1875年、長沢鼎を伴ってカリフォルニアに移転したハリスは、ソノマバレーにある広大な丘陵地を購入し、その地を「ファウンテングローブ」と名付けます。長沢やコロニーの仲間と共に、その土地を開墾し、住居棟、醸造所、納屋などを建築しました。同時に、野菜や穀物などの栽培、家畜の飼育も始めます。その頃、フィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)が猛威を振るい、ブドウの苗が被害に遭っていました。長沢は、カリフォルニア大学の博士らと調査研究、品質改良を行い、4年の月日をかけて病気に強い苗木を作ります。
1885年、土地の一部をハリスから購入した長沢は、不況やワインの価格暴落など厳しい状況の中でも、ヨーロッパへも輸出を試みます。この頃、中国人排斥運動が起こりますが、長沢はあえて中国人労働者を雇い、ブドウ栽培に慣れていない彼らに手本を示すかのように現場に立ち、指導しました。長沢は、労賃の他に食事や住居を提供し、時には彼らと共に食事をしたといいます。農閑期でも彼らを解雇することはなかったことから、ファウンテングローブには良質の労働者が集まりました。そんな矢先、盟友の森有礼が暗殺されたという訃報が届きます。藩の未来を憂いて、苦楽を共にした盟友の死に落胆したことでしょう。
1882年、高齢であったハリスが引退し、長沢はワイナリーの後を任されることになります。その後、ワイナリーは火災に遭いますが、見事に復興させ、生産量はカリフォルニア全体の1割を誇り、1893年のワインの品評会では、出店832社中2位に輝くほどに成長しました。
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 峯元雅代
参考文献:渡辺正清『評伝 長沢鼎 カリフォルニア・ワインに生きた薩摩の士』南日本新聞開発センター(2013年)
薩摩藩英国留学生記念館
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