◆体験者たちが語る戦争の記憶
◇生きて帰ってこれたのは有難いが言葉にならない 重信一雄さん[96]
7人兄妹の長男だった重信さんは小学6年の時に父親を亡くし、母親とともに一家を支えていた。「母は長男の私が兵隊に取られたら一家が消滅するから、兵隊に取られないところにどこか入ってほしいと言っていた。」母の思いをくみ、鹿屋海軍出水工廠に入った。軍の施設で働いている人には、兵隊の召集がかかることはない。しかし昭和20年、意に反して重信さんの家に「赤紙(召集令状)」が届く。
「赤紙が届いた時は驚いたが、心の中では兵隊になれると思い、嬉しかった。集落の人もおめでとうと喜んでくれた。しかし、母だけは泣いていた。」状況が悪化し、人員が不足したことで召集された重信さんは、通常3カ月の訓練を1週間で切り上げ、佐多岬の警備に就いた。敵機がくると機銃で応戦。敵から狙われるため、幾度となく死を覚悟した。
約半年後、佐多岬で終戦を迎えた。「負けたのを聞き、ただただ悔しかった。」米軍が上陸してくるから階級章な言葉にならないど兵隊と分かるものを全部焼くよう指示があった。
その後出水へ戻ると、母をはじめ、集落の人たちが喜んで出迎えてくれたという。そんな喜ばしい状況の中ではあったが、重信さんの気持ちは晴れなかった。「赤紙がきた時から、生きて帰ってくると思っていなかった。生きて帰ってこれたのは有難い。しかし、戦争には負けた。負けて帰ってきた自分が哀れだった。その時の思いは、言葉にならない。」
◆戦争体験者たちのた思い
私たちには想像できない壮絶な日々を過ごし、悲しみや恐怖の中で必至に生きてきた方々が発する「戦争をしてはいけない」という言葉の重み。その言葉には、私たちや未来の世代に「戦争を体験させたくない」という、体験者にしか伝えられない思いと願いが込められているように感じた。
私たちは体験者たちの思いを受け継ぎ、次の世代へつないでいく立場にある。
体験者たちから話が聞ける私たちがその思いを途絶えさせてはいけない。
◆思いをつなぐ活動
出水市平和学習ガイドの会 神信裕さん
戦争体験者から受け継いだ思いを次の世代につなげるため、地元の中学生や修学旅行生等に向けて、「平和学習」を行っている「出水市平和学習ガイドの会」。出水に残る戦争遺跡や、体験者の話を紹介し、出水で起きた戦争の歴史を伝えている。体験者の聞き取り活動は現在も行っており、今もなお、聞き取りから新しい情報を得ることが多いという。出水市平和学習ガイドの会神信裕会長に平和学習を行う目的を伺った。「歴史の中で起こった事でも決して他人事ではなく、必ず親しい人々や自分につながっています。その事を実際に住思いをつなぐ活動んでいる地域と身近な人々に見出すことは、歴史学習に関して非常に重要なことです。出水の地で起きたことを発掘・整備し後世に伝えていくことは、子どもたちが未来の日本を創ることに少なからず影響を与えると考えます。平和学習の目的は、未来を担う子どもたちが、過去の歴史に学び、真実を見抜く力を養い、戦争や差別のない社会に生きて、持続可能な新しい社会を創る力量を育てることです。私たちはこれからも、子どもたちの豊かな感性を信じ、平和学習の活動を続けていきます。」
◇ご連絡ください
平和学習ガイドの会では随時、体験者の聞き取りや写真・遺品を収集しています。
それらの貴重な歴史資産が未来の平和へとつながります。
現在出水市では関係団体と協力し、戦争遺品等の公開に向けて動き始めています。
問合せ:出水市平和学習ガイドの会 事務局[担当:西]
【電話】080-6725-4243
◆私たちに“できること”
私たちは、親・祖父母などからかろうじて当時の話を直接聞くことができる世代です。戦争を体験していない世代でも、親から子へ戦争体験を話しているかもしれません。子や孫の世代に平和について考えてもらうために、自らの戦争体験を伝えたいと思っている体験者の方が多くいらっしゃいます。しかし、今さらという気持ちもあり、多くの方が話せず胸に留めています。
今回取材した重信さんの満面の笑顔。この写真は、取材をきっかけに、娘さんと初めて戦争の話をしている時の一場面です。
家族・親戚が集まる機会の多い8月。当時の話を聞いてみませんか。次の世代へ語りつないでいくために。
(※写真など、詳細は本紙をご参照ください。)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>