■新城の歴史(石器時代~古墳時代編)
◆新城の成り立ち
新城は垂水市の最南部に位置し、鹿屋市と接しています。東に高隈連山があり、西は錦江湾に面しています。
大隅半島は約2000万年前、海底にありましたが、屋久島、甑島、南大隅と共に地底が時代不詳の堆積岩類に貫入し、非常に硬い花崗岩として隆起してきました。花崗岩は石英や長石、黒雲母などで構成されていますが風化し易く、水を良く透します。南九州には3つのカルデラがあり、阿多カルデラは11万年前、姶良カルデラは2万9000年前、鬼界カルデラは7300年前に出来ました。新城麓の海岸には、白崩(したくえ)という高さ60m幅2kmの切り立った崖があり、海上遠くから眺められ、昔から秋太郎漁(カジキマグロ漁)の漁船の良い目印になっていました。この崖は3層からなり、最下部の茶褐色層は阿多カルデラの溶結凝灰岩層で、波にえぐられた洞窟はまさに「猿の惑星」の様です。2層目は姶良カルデラのシラスで、最上部は鬼界カルデラのシラスの層(アカホヤ)となっています。
高隈連山には1000m以上の山が7峰もあり、新城には5本の小さい川が流れ、その周辺に小さな扇状帯が広がっていますが、そこに数千年前から人が住んでおり、狩猟や漁労をして生活してきたと考えられています。
◆時代で見る新城の歴史
○石器時代(BC数千年~)
麓・田平・小谷等で石斧が発見されています。
○縄文時代・弥生時代(BC3000年~AD300年)
鉄道公園付近の宮下遺跡が隣接する柊原貝塚から、縄文・弥生時代の土器類が多く発掘されています。
○古墳時代(AD150~700年)
古事記によると1世紀の頃、景行天皇及び仲哀天皇の2回の熊襲征伐がありました。5世紀頃には、隼人は天皇に恭順し、警護の任に当たったとされています。この頃新城は、神木村と呼ばれていました。
▽参考資料
『垂水市史』発行者:垂水市教育委員会
『ふるさとの歴史垂水市新城編』『ふるさとの歴史垂水市柊原編』発行者:中島信夫
・新城の歴文等を紹介した冊子が、新城地区公民館にて配布中です。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>