■大津絵節と柊原郷土芸能保存会
○大津絵節
「大津絵節」の大津絵とは、江戸時代近江の国(滋賀県)の大津と京都を結ぶ逢坂関(おうさかのせき)で、旅人の手軽な土産物として売られていた民画・護符です。
中でも、藤娘・鬼の寒念仏・雷公・外法大黒・鷹匠・座頭・瓢箪鯰・槍持奴・弁慶・矢の根男という代表的画題は「大津絵十種」と呼ばれ、この画題にちなんだ歌詞の音曲や俗曲、および舞踊もうまれ、これを大津絵節や大津絵踊りと言います。
大津絵節と一口に言っても、時代の変化や各所に伝播するうちに、曲や歌詞にはいくつかの派生が生まれるようになりました。
特に有名なのは嘉永から明治にかけて流行した曲節で、近松門左衛門作の浄瑠璃「冥途の飛脚」(※「梅川忠兵衛」とも呼ばれる)の物語を歌い込んだ「大阪を立ち退いて」がよく知られています。
大津絵節は、特に幕末から全国的に流行し、日本の各地に多くの替え歌ができました。鹿児島では「おちえ節」とも呼ばれ、桜島の大正噴火を歌った「鹿児島大津絵節」なども作られました。柊原地区では、明治時代から大津絵節が歌われており、昭和初期になって、関西に働きに出ていた若い女性たちが帰郷する際に柊原に持ち帰り、再び大津絵節が広まり踊られるようになったと伝えられています。
○柊原郷土芸能保存会
時代の移り変わりとともに踊り手もほとんどいなくなった平成21年に、柊原在住の森山稔氏が発起人となり、地域の有志と「柊原郷土芸能保存会」を立ち上げます。以降、地区の文化祭や垂水市内外の各種イベントで踊りを披露し、老人ホームなどにもボランティアとして年間十数回訪問したりするなど、市内の伝統的舞踊からすると新しい芸能文化団体でありますが、精力的に活動しています。
柊原郷土芸能保存会がレパートリーとしている大津絵節は5演目あり、「大阪を立ち退いて」で始まる『大阪』、忠臣蔵の物語において、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを支援した義商天野屋利兵衛が登場する『泉洲堺』、同じく忠臣蔵の早野勘平と千崎彌五郎が出てくる『天罰』、歌舞伎「加賀見山再岩藤」の内容を歌った『加賀見山』、陰陽師安倍晴明の出生説話をもとに、浄瑠璃や歌舞伎「しのだづま」の話を歌にした『くずの葉』、実話の心中事件を題材とした歌舞伎「明鳥花の濡衣」のあらすじを歌った『明けがらす』が伝わっています。
保存会はこれからも、大津絵節などの踊りを通して多くの方に笑顔を届けていきます。催事の折には、ぜひ柊原郷土芸能保存会をお呼びたてください。
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