■コンピラサン(金比羅山)とトウチバカ(殿地墓)
金比羅山は、亀津南区の南西側高台にあり、地域の人たちには昔から、「コンピラサンまたはコンキロ」と親しみを込めて呼ばれ、慕われ崇拝されてきました。昭和40年(1965年)頃までは、うっそうと茂った杜の中の廃屋のような木造の小さな社殿があり、中には近在の漁師が寄進したと思われる船の絵や模型などが飾られていました。当時は近隣の子ども達にとって格好の遊び場で、学校が終わると三々五々集って崖の上から紙飛行機を飛ばしたり、社殿前の小さな広場でチャンバラごっこなどをしていました。古老の話によると、戦時中は戦勝祈願、出征兵士の武運長久を願い参拝、春と秋の彼岸参りもされていたそうです。
地元では「コンピラサン」と呼ばれていた地名を、薩摩藩が検地を行った際に「金比羅山」に書き改められたと考えられます。海上の守り神「金比羅」が祀られています。かつての祠には三基の石碑があり、文政年間(1818年~1829年)の文字が刻まれています。ここから亀津の町や港、茫洋たる太平洋を望みながら、本土へ帰る代官たちが命がけの航海の無事を祈ったことでしょう。
戦後は地元の名士前田村清氏が寄進したコンクリート建ての祠がありましたが、平成30年度の急傾斜地崩壊防止工事の際に、渕上平八郎氏の寄進で、鳥居と祠が建て替えられました。その機会にコンピラサンの西側に災害時の住民避難場所が確保され、境内には地域有志によって植樹や芝生が敷かれ、亀津一帯を見下ろし、地球の丸さが実感できる眺望になりました。
新しい鳥居の北側斜面(現在復旧中の階段)を道なりに下ると、トウチバカ(殿地墓)があります。徳之島の墓地の中でも大変格式の高い墓地で、ここに唯一徳之島の代官本田孫次郎(第125代)が葬られ、代官の補佐役人の墓や、徳之島の名家柳家や大勝家の墓もあります。
このような歴史のある所とも知らずに、昭和30年代の地域の子ども達にとって、丹向橋(たんこうばし)から西へ、わびしく人通りの少ないサムライ道を通って行くトウチバカやコンピラサンは、自由奔放な悪童たちを大いに楽しませてくれる場所でした。
悠久の歴史に包まれた光景に触れ、先人たちに思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。
(町誌編さん室 岩下洋一)
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