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いぶすきまるごと博物館 vol.211

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鹿児島県 指宿市

■指宿橋牟礼川遺跡国指定100年! 火山噴火で埋もれた古代のムラ~平安時代編~
飛鳥時代に起こった開聞岳噴火から約200年後の平安時代、再び開聞岳が噴火しました。この噴火の際の火山噴出物は紫色をしており、亀の甲羅のように固いことから「紫コラ」と呼ばれています。橋牟礼川遺跡では紫コラで埋没したムラが発見されました。
歴史学・火山学・考古学の専門家が協力して調査を進めたところ、紫コラの堆積状況などが菅原道真(すがわらのみちざね)らが編さんした歴史書『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記された貞観(じょうがん)16年3月4日(874年3月25日)の開聞岳噴火についての報告記事の内容と酷似していることが分かったのです。『日本三代実録』には「噴煙が天を覆い、火山灰が雨のように降った」「百姓は恐れおののき、精気を失った」「火山灰は雨に変わり、穀物はみな枯れてしまった」「河川は火山灰で埋もれ、魚や亀が多く死に、死魚を食べて死ぬ者や病気になる者がいた」など、当時の被害状況が克明に記されています。橋牟礼川遺跡では雨が降った痕跡、火山灰で埋もれた畑や植物、土石流で埋没した河川、倒壊した建物跡などが実際に発見されています。
橋牟礼川遺跡に住んでいた人々は火山災害から無事に逃げたと想定されていますが、復旧活動の痕跡は現在のところ見つかっておらず、人々が生活できるようになるまでには少なくとも300~400年の時間を要したと考えられています。なお、この噴火に対して朝廷は、噴火の原因究明のために占いを行い、開聞神を祭る神社が穢(けが)されていることからたたりが起きたとし、封20戸(神社の財源を納める20世帯と思われる)を与えるという災害対応を取りました。
火山の爆発的噴火は時に数十~数千年の休止期間があり、その実態を世代間で伝承していくことは限界があります。そこで、火山で埋没した遺跡から得られた調査成果を基に過去の被災状況とそれに対する人類の対応を研究することは防災上の対策を考える上で非常に役に立つと言えます(桒畑2024)。
橋牟礼川遺跡は、日本で初めて縄文土器が弥生土器よりも古いことを層位学的に明らかにしただけでなく、火山災害の実態を現代社会に発信できる情報を有している点でも重要な遺跡なのです。

〔引用参考文献〕
・桒畑光博(くわはたみつひろ)2024『火山災害考古学から今を考える』
・松﨑大嗣(まつさきひろし)2024『開聞岳火山災害と対応の実態』・『列島の人々は火山災害にどのように向き合ってきたのか』山川出版社

指宿橋牟礼川遺跡が国指定史跡に指定されて今年で100年の節目を迎えるのを記念して企画展とシンポジウムを開催します。詳しくは今後の広報紙などでお知らせします。指定100年の記念すべき年をぜひ一緒に盛り上げていただけると幸いです。

◇企画展
期間:10月5日(土)~令和7年3月2日(日)
会場:指宿市考古博物館時遊館COCCOはしむれ

◇シンポジウム
期日:11月24日(日)
会場:指宿市民会館

問合せ:生涯学習課文化財係
【電話】23-5100

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