市史編さん室には市民からの情報の他に市史に関する問い合わせも寄せられます。その一つに「与謝野晶子(よさのあきこ)が指宿に来た時のことを詳しく教えてほしい」というものがありました。
■与謝野晶子の足跡を探る
砂むし会館「砂楽(さらく)」の護岸には晶子の詠んだ句が刻まれています。
白波の 下に熱砂の隠さるる
不思議に逢えり 指宿に来て
昭和4年に夫の与謝野寛(ひろし)と共に指宿を訪れた際に詠んだといわれていますが、旧指宿市誌に詳細は書かれていませんでした。
■見つかった旅行記
指宿図書館と共同で調査した結果、県立図書館で1冊の本が見つかりました。『街頭に送る』。昭和6年2月に発刊された晶子の随筆で、その一節に夫婦が8月1日に鹿児島から今和泉・池田湖・開聞岳・山川港を経て偕楽園(摺ヶ浜にあった温泉宿。昭和24年に火事で焼失)に宿泊し、翌日は現在の指宿植物試験場を見学したことが記されています。
■晶子が見た風景
当初、夫婦は宿泊する予定ではありませんでした。摺ヶ浜からの景色に「海を隔てて大隅の高隈連山が北より南へ展開し、海峡に点出する帆影(はんえい)と共に、雄大と明麗(めいれい)とを兼ねた景観が居ながらに眺められる。私は南薩摩の海景の特色を明かに此の指宿に見た」と心を引かれ、予定を変更することになります。夕暮れ時、人が散じた砂浜を散策した夫婦。「足を汀(なぎさ)の汐に浸したが、驚いて飛び上(あが)らねばならなかつた」と句が生まれた背景も描かれていました。
■歌集『霧島の歌』
「よい自然の所へ置いて下されさへするなら、促されずとも私達は歌を詠まずにゐない」と記す晶子。指宿の美しい風景が創作意欲を高めることになったのか、夫婦はこの2日間で100弱の句を作ります。その句は歌集『霧島の歌』にまとめられ、昭和4年12月に発刊されました。
■指宿にゆかりの文人たち
新しい市史には指宿を舞台とした文芸作品や晩年に住居を構えた島尾敏雄(しまおとしお)、教師として赴任した海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)など指宿ゆかりの作家についても紹介する予定です。市民の皆さまからの関連資料やエピソードもお待ちしています。一緒に市史編さんを進めていきましょう!
■指宿市の古い資料や写真などの情報を集めています
ご自宅にある古い物が大切な資料かもしれません。提供できる情報やお話がありましたらご一報ください。なお、調査は資料の受け入れが目的ではありません。
探している物:
・古い文書、絵、地図、日記、手紙など
・昔の地域の様子や暮らしなどの思い出や言い伝え
・明治~昭和の地域の風景や地域・学校行事などを記録した写真、映像、音声など
・市や市内の団体などが刊行した記念誌などの印刷物、昭和49年以前の新聞記事
問合せ:市史編さん室市史編さん係
【電話】080-8210-1656
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