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第56回 キジカケル突撃レポート! ~与謝野夫妻の歌碑(かひ)を巡る編~

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鹿児島県 薩摩川内市

秋といえば、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、そして芸術の秋。川内まごころ文学館では、本市に関係のある文学者の展示やその他芸術作品など、さまざまな芸術に触れることができます。
その中でも本市にゆかりのある山本實彦(やまもとさねひこ)。令和3年度広報薩摩川内3月通常版「人のとなりに」で取り上げました。
そこで今回は、山本實彦と関係の深い与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫妻に注目し、和歌やその歌碑について紹介します。

■与謝野夫妻のプロフィール
○与謝野晶子
明治11(1878)年12月7日、現大阪府堺市に生まれる。本名は与謝野志やう(よさのしょう)。雑誌「明星※(みょうじょう)」に短歌を発表し、ロマン主義文学の中心的人物となった。
代表作:
みだれ髪(明治34(1901)年)
君死にたまふことなかれ(明治37(1904)年)
※明治33(1900)年4月から明治41(1908)年11月まで刊行された、詩歌を中心とする月刊文芸誌

○与謝野鉄幹
明治6(1873)年2月26日、現京都府京都市に生まれる。本名は与謝野寛(ひろし)。鹿児島に住んでいた時期もあり、第二の故郷のように思っていた。
代表作:
東西南北(明治29(1896)年)
五足の靴(明治40(1907)年)

■与謝野夫妻が市比野に
山本實彦は旧川内市出身で、東京で「改造社」という出版社を経営し、数多くの文学者と親交があったそうです。
そのため、昭和4(1929)年、与謝野夫妻は彼の招きにより、鹿児島を訪れています。

与謝野夫妻は滞在期間中、市比野温泉を訪れ、現在も旅館として営業されている、割烹(かっぽう)旅館みどり屋に宿泊しました。近くを流れる川を詠んだ歌が歌碑に刻まれています。
→晶子は滞在期間中、約350首の歌を各地で詠んだのだとか。

■歌碑を見に行こう!
○樋脇町市比野
※詳しくは本紙をご覧ください。
川内まごころ文学館の学芸員によると、近くの川を流れる水の音を聞いて、この歌を詠んだんだって!

■与謝野夫妻の旅程(昭和4年7月22日〜8月5日)本市で訪れた場所を紹介します
7月28日 川内高等女学校(現:川内高等学校)で講演
7月30日 市比野温泉緑旅館宿泊(現:割烹旅館みどり屋)
7月31日 新田神社→可愛(えの)山陵→旅館高瀬屋(たかせや)(現太平橋付近)→川内川下り清遊(久見崎まで)
8月5日 旅館高瀬屋にて食事
→この旅行は鹿児島市や霧島、南薩方面など広範囲にわたっていたんだって!

■与謝野夫妻の歌碑はこんなところにも
・神田町
・西開聞町
※詳しくは本紙をご覧ください。

■他にも歌碑がたくさん!
○万葉の散歩道
万葉の散歩道は、川内歴史資料館と国分寺跡史跡公園を結ぶ道路の近くを流れる銀杏木(いちょうのき)川沿いに整備されています。約630メートルの間に、万葉植物15種と同植物を題材にした万葉歌碑15基、大伴家持(おおとものやかもち)像が設置されています。

与謝野夫妻の歌碑に限らず、芸術に触れてみてはいかがですか。

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