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市長独言No. 90…「鉄砲まつり」今昔

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鹿児島県西之表市

コロナ禍で各種行事が中止を余儀なくされ、縮小して続けられた「種子島鉄砲まつり」は、昨年に続いて今年も、ほぼ従来の形に復活しました。八坂神社を出発した神輿行列は太鼓山、女山車を連ねて、西町、東町、池田、天神町、鴨女町、川迎、塰泊と続く道のりを往復。炎天下、沿道の商店街では水をまいて熱暑を和らげました。
まつりの起源は、1875(明治8)年、西町の八坂神社の祇園祭とされています。先の大戦後の1948(昭和23)年、赤尾木港の岸壁改修と初の大型船舶・照国丸の鹿児島航路就航を記念して「港まつり」が始まり、1963(昭和38)年、西之表市と東町の共催とする「鉄砲まつり」へと引き継がれます。さらに1970(同45)年、祇園祭との合同により現在の「種子島鉄砲まつり」となり、今年は55回目を数えました。
鉄砲伝来が縁の友好都市で結ばれる、種子島火縄銃保存会と国友(滋賀県長浜市)、堺(大阪府堺市)の3鉄砲隊による試射演武を交え、太鼓山、子供みこし、南蛮行列、団体手踊り、宣伝パレードに続いて夕方から演芸大会、最後は約六千発の花火大会で盛り上げました。
4年前の鉄砲館企画展「鉄砲まつり展」の写真(1963年撮影)を見ると、見物客が商店街の軒先にひしめき合うようにして行列を挟んでいます。私の住む納曽からも仮装行列に参加し、頭に皿、背中に甲羅をつけた河童の扮装です。小学生だった私は、女性たち(東町婦人会)が赤穂浪士の姿で勇ましく行進していたのを思い出します。
その後、女山車を牛が引いたり、種子島大踊り(現和武部)が参加したりした年もありました。近年は参加者も運営側も人手不足が深刻で、さまざまな企業、事業所から助っ人を得ています。人口減少が進む状況ですが、往時のにぎわいを少しでも取り戻したいものです。

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