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【郷土史への扉】

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鹿児島県霧島市

■霧島の地震災害
本市の自然災害といえば、まず霧島山の噴火などの火山被害や台風、大雨による風水害が注目されがちです。地震についてはあまり言及されることはなく、市内の郷土誌にも地震に関する記述はほとんど見られません。
しかし、実際には近年でも昭和43年のえびの地震(最大震度6)、昭和61年の牧園町地震(最大震度5)、平成9年の横川町で震度5弱を記録した紫尾山付近を震源とする県北西部地震(最大震度5強)など、霧島山近くを震源として、一部の地域のみが集中的に揺れる地震が起こっています。

▽史料に残る地震
江戸時代以前には、県内で起こった地震の記録が残されており、多くの地震や津波が発生し、霧島山と桜島の噴火による地震も観測されています。霧島山と桜島に挟まれる形で位置する本市でも多くの地震が起こっていたことが考えられ、特に安永8(1779)年の桜島噴火の際には前触れの地震が起こり、海底噴火による津波が隼人から福山の港に押し寄せたという記録が残っています。現在の防災計画でも、鹿児島湾直下を震源とする地震か桜島の海底噴火が起こると、それに伴って津波が発生することが想定されています。活火山に挟まれる立地であるために、火山性地震は避けられません。

▽南海トラフ地震と鹿児島
今年8月8日に日向灘を震源とする地震があり、本市でも震度5弱を観測。その後、南海トラフ地震の発生の可能性が高まっているとして「南海トラフ地震臨時情報」が発表されました。おおよそ100年周期で起こるとされる南海トラフ地震では、過去にどのような被害があったのでしょうか。
鹿児島に関わる過去の地震の記録を確認すると、慶長地震(1605年)、宝永地震(1707年)、安政東海・南海地震(1854年)で被害の記録があります。慶長地震では身体に感じるほどの揺れはなかったものの、県本土に急な津波が押し寄せたとされています。約100年後に起こった宝永地震では鹿児島城が破損し、県本土でも強い揺れがあったとされています。

▽記録に残る安政地震
特に幕末の安政東海・南海地震の際には、県本土でも大きな揺れがあったと考えられるいくつかの記録が残っています。加治木の武士が記した「新納仲左衛門(にいろちゅうざえもん)日記」を見てみると、昼ごろに大きな地震があり、そのまま夜にかけて10回程度揺れ、海は潮と泥が吹き上がっていたと記されています。余震が続き、泥が吹き上がっていたということは液状化現象が起こっていたのかもしれません。徳之島の代官の記録である「德之嶋面繩院家蔵前録帳(とくのしまおもなわいんけぞうぜんろくちよう)」には、日本全体で大地震があり、鹿児島では5日間程度余震が続いたと記されています。特に加治木・国分から都城にかけては多くの家が崩れていたともあり、南海トラフ地震が起こった場合、本市でも地震によって大きな被害を受ける可能性があることが分かります。
いつどこで起きるか分からない地震災害。市のホームページには地震をはじめ、さまざまな防災に関する情報があります。過去から災害を学び、未来へ備えましょう。
(文責=小水流)

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