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【特集】第60回 霧島国分夏まつり(2)

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鹿児島県霧島市

■変わること、続けること
夜のまちに祭りばやしが響けば、自然と気持ちが弾みます。祭りをもっと楽しくしたい、
会場に赴くことができなくなった人にも祭りを届けたい、そんな思いを紹介します。

霧島国分夏まつり1日目のメインの総おどりは、今年で50回を数えます。6千もの人が生演奏に合わせて練り踊る姿はまさに圧巻。そんな祭りはどのようにして現在の形になったのでしょうか。

▽もっと楽しい祭りに
「もっと多くの人に参加してもらいたい、どうやったらもっと面白い祭りになるかと本当に試行錯誤だった。海浜公園で開催してみたり、街中にプールを作ってみたりね」新市街通りに店を構える池田隆さん(59)は約30年前を振り返ります。池田さんが夏まつりの実行委員会に携わり始めた平成元年頃は、総おどりの参加者が約2千人。踊り手が国分市街地にある四つの通りを一方向に回るルートで、各団体は2、3列になって踊っていました。「通りによっては細い路地で1列にならないといけないところもあったり、せっかくの生演奏も音が届きにくかったりしてね。踊る人がもっと楽しめる祭りにしたいと思った」。池田さんら実行委員はそれまでのルートを大きく見直します。横並びのまま踊れて、参加者同士が対面ですれ違えるよう広い通りを全面使う仕様に変更。散り散りに設置しなければいけなかった音響も、演奏するやぐらを中心部分に組むことで、全体に効率よく音が届くようにしました。「踊り手同士が向かい合って互いの踊りが見られる、笑顔が見えるから、それは盛り上がったよ。でも、それまでの通りで踊りを見て楽しんでいた人からは反感を買ってね。喜ばれる声だけじゃなかったけれど、今こうしてたくさんの人が参加する大きな祭りになったのも、みんなで知恵を出し合ったからこそだと思う。これからの祭りもどうなっていくか楽しみ」

▽祭りを届ける
八坂神社周辺の六つの通り会には霧島国分夏まつりの前身、八坂神社の祇園祭、通称「おぎおんさぁ」と呼ばれる祭りの時代からずっと、それぞれ受け継がれてきた祇園山という山車(だし)があります。昭和30年頃までは牛が引いて祭りの夜に花を添えていたそうですが、現在は市内の老人ホームへ祭りを届ける役目を担っています。
六つの通り会が持つ山車には、三味線や太鼓を習う人たちが乗る太鼓山や車まや三味線山や車まの他に、国分中・舞鶴中・国分南中の1年生の女子生徒が1週間の練習を経て乗る乙女山車(やま)もあります。本番は祭り当日の2日間で、7カ所ほどの施設を回り、演奏や踊りを披露します。池田さんはこくぶ通り会連合会の会長として、山車の慰問活動を支えるメンバーの一人でもあります。「飾り付けた山車をトラックに乗せて施設を慰問するんだけど、それはもう喜ばれてね。寝たきりのおばあちゃんが太鼓のリズムに合わせて指を動かしたり、終末期を迎えた方が涙を流しながら喜んでくれたりする姿に、演者も泣きながら演奏することもあってね。もう会場へは足を運べない人たちに、祭りの雰囲気だけでも届けられたらいいなと思う。通り会も高齢化が進んでいるけれど、これからも続けていきたい」。会場に行ける人も、それがかなわなくなった人も楽しめる、そんな祭りがここには残されています。

※「踊りルートの変遷」の詳細は本紙PDF版4ページをご覧ください。

[NTERVIEW]
国分ハウジンググループ国分ハウジング霧島店
佐藤七星(ななせ)さん(26)
■特別な雰囲気に心も踊る
高校の部活で初めて総おどりに参加し、就職先も地域貢献が社風の会社なので毎年参加がかなってうれしいです。この時季になると、朝のラジオ体操が総おどりの練習に代わって気分も上がります。普段は車で通る道を、同じ音楽に合わせて大勢が一斉に踊るという特別な雰囲気が好きです。踊りで目立った人にはメダルがもらえるそうなので、楽しみつつ狙いにいきます。

[INTERVIEW]
国分南中学校2年
有木星來(せいら)さん
■一生に一度きりの経験
学校から配られたプリントで乙女山車のことを知りました。友達に誘われ、太鼓に興味もあったので参加しました。最初は他の学校の生徒など知らない人ばかりで緊張しましたが、練習を重ねるうちに楽しくなって友達も増えました。慰問した先では私たちの演奏で笑顔になり、楽しんでくれたのがうれしかったです。一度しかないチャンスに、参加してみてよかったです。

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