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【特集】宝暦治水270年 薩摩義士がのこしたもの(1)

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鹿児島県霧島市

困っている人がいたら、あなたはどうしますか。今回は、270年前に実在した薩摩義士(ヒーロー)を紹介します。

■宝暦治水の主な工事場所
(1)大榑川洗堰(おおぐれがわあらいぜき)(水の勢いを緩和するため長良川の支流である大榑川の入り口に造られた)
(2)逆川(ぎゃくがわ)洗堰(木曽川の水が長良川に流れ込まないように造られた)
(3)油島締切堤(あぶらじましめきりてい)(長良川と揖斐(いび)川の流れを分けるために約1kmの堤防が造られた。最大の難工事。現在の千本松原)
※洗堰=堤防より少し低い堰。水かさが増すとその上を水があふれて流れるようにしたもの。
※詳細は本紙PDF版2ページをご覧ください。

「今日、私たちの生活があるのは薩摩さまのおかげ。薩摩さまに足を向けては寝られない、という現地の人たちの言葉が忘れられない」と話すのは、霧島市薩摩義士顕彰会理事の石神民男さん(77)です。その昔、私たちの祖先である薩摩藩の人々は、姉妹都市・岐阜県海津市がある木曽三川(さんせん)(木曽川・長良川・揖斐(いび)川)流域の治水工事を行いました。

▽艱難(かんなん)辛苦の宝暦治水
木曽三川の下流域にある海抜0メートル以下の土地はかつて、大小の河川が合流・分岐を繰り返して網目のように流れ、雨の多い時期になるとたびたび洪水に見舞われました。田畑は押し流され、多くの人が命を落とし、生活が脅かされてきた苦しい歴史があります。
宝暦3(1753)年、大水害により各所で堤防が決壊しました。過去最大級の被害に驚いた幕府は大がかりな治水工事を計画。後に宝暦治水と呼ばれるこの難工事を、遠く離れた九州の雄藩・薩摩藩に※御手伝(おてつだい)普請として命じました。当時既に莫大な借金を抱えていた薩摩藩へ、さらに過酷な負担を強いる理不尽な命令に藩士らは激高し、徹底抗戦を叫ぶ声も上がりました。

▽四海同胞(しかいどうほう)の精神
激しい論戦の中、薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)は「このたびの幕府の命令は筋が通らないが、四海同胞といって日本国中は皆兄弟と同様である。この兄弟が水に苦しみ難儀をしていることを知ったならば、これを助けるのが仁義を尊ぶ薩摩武士の本分ではなかろうか」と説きます。この情理を尽くした説得に、藩主も幕命を受けることを決意し、家臣一同も納得。総奉行に任命された平田靱負ら約千人の藩士らは、遠く1200キロほど離れた見知らぬ土地の難工事に挑みました。

▽薩摩義士の誕生
数々の困難の末、1年3カ月かけて工事は完成しましたが、80人以上もの藩士の命が失われたことに加え、約40万両(現代価格約300億円以上)という工事費を賄うため、薩摩藩は新たに多くの負債を抱える結果に。多大な損失の責任を感じた平田靱負は、切腹して命を断ちました。
その後、薩摩藩は藩士への給与が支払えなかったり、農民に厳しい年貢を課したりと、長きにわたって深刻な財政難に苦しむことになりました。
多くの犠牲を払ったこの工事は、郷里の薩摩藩では詳しく伝承されなかったものの、現地の人々は薩摩藩士への感謝の気持ちを持ち続けました。政権が代わって明治中期以降、現地で宝暦治水の顕彰活動が盛んになり、命懸けの工事に携わった薩摩藩士の功績を称たたえ、人々は彼らを「薩摩義士」と呼ぶようになりました。

▽郷土のヒーロー
「犠牲になった薩摩義士の中に、現在の霧島市出身者が3人いることが分かっており、その中の一人、山元八兵衛の墓が隼人町の住吉墓地にあります。県内唯一の薩摩義士の個人墓です」と石神さんは話します。平成3年にこのことが新聞で報じられたことを受け、教育委員会などが検証を実施。三重県桑名市の海蔵寺にある山元八兵衛の墓と法名や没年が一致したことから、市の文化財として指定されました。石神さんは「地元にもこのような偉人がいることを知り、先人の偉業を誇りに思ってもらえたら」と目を細めます。

※豊臣政権や江戸幕府が、諸大名に人足や資材、費用などを負担させて実施した大規模な土木建築工事。

「会誌『薩摩義士に学ぶ』」
霧島市薩摩義士顕彰会理事
石神 民男さん(77)
隼人町出身。薩摩義士顕彰会会誌編集委員長。隼人町史談会会員。隼人町在住。

薩摩義士顕彰会では会員を募集中。
出前講座も受け付けています。

問合せ:霧島市薩摩義士顕彰会事務局
【電話】080-3223-9599

[INTERVIEW]
国分高校1年
橋村 初音さん
■郷土の偉人を知り歴史が身近に
社会の授業で宝暦治水を学びましたが、その時は詳しいことまでは知らずにいました。そんな時に応募した青少年姉妹都市交流で、偉業と呼ばれる工事の背景や経緯などを知り、薩摩義士はすごいことをしたんだと実感しました。その時に住吉墓地を初めて訪れ、薩摩義士の一人・山元八兵衛さんの墓を見学。歴史をより身近に感じることができて、とても誇りに思いました。私も困っている人を助けられる人になりたいです。

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