■歴史をつなぐ交流事業
歴史をつないでいくには、各世代の人たちが絶えず受け継ぐ必要があります。ここでは、若い世代が取り組む青少年姉妹都市交流事業の一部を紹介します。
青少年姉妹都市交流訪問団団長
三戸瀨 智(さとし)さん(60)
出水市出身。隼人中学校校長。休日の楽しみは妻とのラーメン巡り。隼人町在住。
岐阜県海津市の人口は約3万2千人、面積は約112平方キロ。洪水を防ぐために集落を堤防で囲んだ輪中(わじゅう)地帯が広がる海津市と平成18年4月25日、霧島市は姉妹都市盟約を結びました。昭和45年に旧国分市と旧海津町が結んだ盟約を継承したもので、商工会青年部の交流に始まり、婦人会、中高生、市職員や議員、産業交流に至るまでさまざまな事業を通して、これまで多くの市民が絆を深めています。
▽青少年姉妹都市交流
青少年姉妹都市交流事業では毎年5月に海津市の生徒の受け入れを、8月に霧島市の生徒の派遣を行っています。「薩摩義士についてはある程度知っていましたが、実際に交流に携わるのは初めて。昨年参加した教頭先生から、海津のかたがたのおもてなしが素晴らしく、とても人情味にあふれていたと聞き、定年までに一度は行ってみたいと思った」と話すのは、訪問団の団長を務める隼人中学校校長の三戸瀨智(さとし)さん(60)です。今年も応募した市内中高生が5月、海津市から訪れた中高生と交流を実施。霧島や鹿児島を巡って見聞を広げ、交流会などで親交を深め、平田靱負(ゆきえ)の命日である5月25日には、鹿児島市の平田公園で行われた薩摩義士頌徳(しょうとく)慰霊祭にも参加しました。
交流の様子を見た三戸瀨さんは「海津の子どもたちのコミュニケーション能力の高さに驚かされました。初対面の私たちにとてもフレンドリーで、生徒だけでなく大人に対しても元気に接してくれる。きっと彼らがこれまで受け継いできた報恩感謝の気持ちがそうさせているのでしょう。霧島の子どもたちにもそれを感じとってほしい」と話します。
8月下旬に海津市を訪れる予定の訪問団は、事前に宝暦治水や薩摩義士について研修を行います。「現地に赴き、自分の目で見たものと学んだ知識を擦り合わせることで、心が動く瞬間が必ずある。体験でしか味わえない経験をしっかりと記憶してほしい。今しかできない交流を大切にし、この歴史を次の世代につないでいってもらいたい」
私たちが住まう薩摩の地には人のために命を懸けた先人たちの歴史があり、助けられた人たちの報恩感謝の心は270年を経てなお、今を生きる私たちに向けられています。一体何がそこまで人の心を動かすのでしょうか。誌面では語り切れない歴史があり、実際に行って見なければ分からないものが現地には残されています。それらを知ることで、先人たちの道義の精神は私たちの血となり、受け継がれていくのではないでしょうか。
[INTERVIEW]
■伝えつなぐ使命
海津市文化・スポーツ課課長補佐
若山 大介さん(45)
幼い頃から宝暦治水の話を聞いて育ちました。高校1年生の時に交流事業で初めて鹿児島を訪れ、ホームステイを経験。そこで感じた人の温かさを今でも覚えています。今は海津市職員として青少年交流事業の担当や薩摩義士に関わる業務を経験し、何かの縁を感じています。交流経験者として、報恩感謝の気持ちを後世に伝えていくのが私の使命。市職員としてだけでなく一市民として、これからも霧島市との交流に関わっていきたいです。
■守られてきた生活と命
海津明誠高校2年
佐藤 篤磨(あづま)さん
薩摩義士を知ったのは、小学校低学年の時。子どもながらに、命懸けで工事をしてくれたことに感謝しました。いろいろ学ぶうちに、自分たちの生活がかつての治水工事で守られてきたんだと驚き、その工事がなければ今の自分は生まれていなかったかもしれないということを実感。今回の交流事業で、鹿児島の人たちは親切で心が温かな印象を受けました。実際に自分の目で見て体験したことを、地元のみんなにも伝えていきたいです。
■祖先に感謝と敬意を
国分高校3年
深見 蓮稀(はすき)さん
昨年初めて海津市に行きました。自然が豊かで親近感を持ちましたが、交流を深めるにつれ、現地に受け継がれてきた感謝の気持ちの大きさとのギャップに衝撃を受けました。自分がした工事でもないのに報恩感謝の気持ちを向けられていることがうれしかった一方で、自分たちも祖先に感謝し、称(たた)えていかなければと痛感。歴史を途切れさせないためにも、まずはこの経験を友達に話したい。そして多くの人に現地を見てもらいたいです。
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