多過ぎれば災害のもととなり、少な過ぎれば渇いて生きられなくなる、人間にとって必要不可欠な水。霧島市は水に関わる歴史も多い場所であり、飲み水一つとっても特異な地域です。
■日本一の湧水
明治時代、新潟県の長岡から鹿児島に教師としてやってきた本富(ほんぷ)安四郎は著書『薩摩見聞記』の中で「井水の清くして且(か)つ甘きこと格別なり、時には砂糖を入れたるかと思はる」と、鹿児島の水のおいしさについて触れています。また、少し地面を掘れば水が湧き出るほど、鹿児島は水が豊富な場所であるとも記しています。
九州南部はシラスなどの火山噴出物に広く覆われており、雨水がそのような隙間の多い地層の中を浸透する過程でろ過され、崖の下や火山の麓でおいしい水となって豊富に湧き出ます。
事実、本市では横川の大出水(おおでみず)をはじめ多くの湧水地があり、現在の水道のほとんどが湧水か地下水を使用。水道事業体として日本最大級の湧水利用を誇っています。
■水を売る自治体
豊富な湧水は、昔から人々の生活を潤してきました。火山帯に位置する山間部では、鉱物の成分が地下水に溶け込み、温泉水となります。
天保3(1832)年、踊郷(おどりごう)(現在の牧園町)三体堂村の原田丑太郎(うしたろう)に「田方川をさかのぼれば温泉が湧出する場所があり、もろもろの病に効果がある」という神のお告げがあり、それを信じた丑太郎は息子と共に川沿いを7日間探し続け、温泉を発見したといわれています。この温泉水は入浴しても飲んでも効能があるということで有名になり、地域内外から多くの人に慕われていましたが、急峻(きゅうしゅん)な坂道を下った場所にあったことから利用が困難な状況でした。住民福祉の観点から昭和51年、当時の牧園町が温泉地を購入。自治体として温泉を開業し、「関平鉱泉水」と名付けた飲用水の販売も始めました。霧島山の豊富なミネラルや話題の「シリカ」が多く溶け込んだ鉱泉水は、研究によりさまざまな効能が認められ、霧島市内のみならず全国に広まり、愛される水となっています。
■地域を救う水
湧水や井戸水が豊富な霧島市域ではかつて、水道整備に当たり「水をお金で買うなんて」という反対意見もあったようです。市内でいち早く水道が整備された国分の敷根地域では、昭和4年に簡易水道が通水。県下でもかなり早い時期だと考えられますが、これは永山吉助という個人が莫大な寄付金を投じて整備したものでした。永山はアメリカへ移民として渡り、事業を成功させ、その成果をもっての郷里への恩返しでした。敷根の門倉坂にある醫い師し神社(門倉薬師)の近くの水源地から自然流下式で作られた水道は、希望者が本管から自宅までの給水管代を負担すれば自由に使用可能に。道路脇にも立ち水栓が設置され、誰もが気軽に水を使える状況となり、さらに、公衆衛生が向上したことで伝染病などが激減したとされています。豊富な湧水が水道として整備されたことで、地域の暮らし・環境は改善していきました。
戦後、各地で水道の整備が進み、現在のように快適に水が使用できるようになりました。当たり前に使用している水ですが、全国に誇れるぜいたくな水を私たちは享受しているのです。暑い夏、おいしい水を飲んで、熱中症に備えましょう。
(文責=小水流)
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