- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道岩見沢市
- 広報紙名 : 広報いわみざわ 2025年12月号
日本の終戦から今年で80年が経過しました。戦時から現在までの間、私たちの暮らしに大きく影響を与えた出来事などを歴史資料などから振り返ります。
■第9回 戦時下から取り組んだ〝子供詩人〟の発掘と奥保(おくたもつ)
教員でありながら詩人としても活躍した奥保は、昭和3年から出身地である三笠の小学校に勤め、地元の文芸活動にも参加しました。しかし、こどもを題材にした作品が当局の目に留まり警察の監視を受けたこともあって、病弱にかこつけて退職し、3年間療養生活を送りました。その間、北海道内で初めての児童文学同人誌を主宰するほか、日本詩壇に籍を置きながら作品を書きためました。昭和12年に三笠中央尋常小学校に復職し、志文国民学校の教頭を務めていた昭和19年には、大政翼賛会の依頼を受けて岩見沢市歌を作詞しました。戦後、昭和23年からは新たに設置された東光中学校の教頭になり、同人誌や詩集を出版しました。
戦時下の学校では、教育勅語に基づき有事に備えた知識や身体の鍛錬、軍事教練が重んじられましたが、戦後になると、新たに制定された教育基本法や学習指導要領に沿って、詩の創作を取り入れた授業が可能になり、奥はこどもたちの作品を集め次々と詩集を発行しました。中でも、豊中学校長時代の昭和39年には、石狩川の洪水で打ちひしがれた水田農家のこどもたちが災害とけなげに戦い抜いた生活詩〝怒れる石狩川〟を、昭和42年には身近な風景や昆虫の様子を詠んだ〝北国に生きる子〟を発行し〝子供詩人〟の発掘に心血を注ぎました。
奥は詩集の出版のほか、東光中学校をはじめ市内12校の小・中学校、高等学校の校歌を作詞しました。人口の増加に伴い新設された美園小学校では、地域の求めに応じて児童の詩を歌詞に補作し、日の出小学校では地域住民から募った歌詞を補作するなど、校歌作りを通して学校と地域とのつながりを大切にしました。
さらに、地域文化の発展にも尽力し、作詩を中心に市民を対象としたさまざまなサークル活動を主宰しました。昭和44年5月に岩見沢演劇研究会〝河〟を結成し、同年10月には〝文学岩見沢〟を創刊するなど、生涯を通して地域に根差した市民文化の定着に力を注ぎました。こうした活動を通してこどもから大人まで多くの人材を育て上げた奥は〝種をまく人〟として、今なお文学関係者の間で語り継がれています。
問合先:総務課市史資料室(北村支所内)
【電話】56-2001
